RURU1234’s blog

私のこと家族のこと日々のお料理書き綴りたいと思います。

人が好き❤️

子供って純粋

悪い人がいるなんて想像してないから

誰にでも話しかけちゃう

ハイ‼️私そんな子だったようです。


小さい頃

私立の幼稚園に通って居た私

電車で2つ先の駅まで通って居ました。

奈良カトリック幼稚園

今もあるのかな??

とても素敵な幼稚園でした。

2個上の姉が入れてもらって居た為

自動的にそちらの幼稚園に通うことになった私

2年保育なので

4歳で姉と2人、2つ隣の駅まで通う

あまりこの辺の記憶はありません。

多分姉が小学生になった頃かな

私は面白い通い方をして居ました。

エリア毎に一緒に行く大人を見つけていたようです。

朝は家の近くから駅までの長い道のりを

近所の☆☆ちゃんのパパと一緒に歩き

途中から工事測量の会社のおじちゃんと歩き

そのあと駅からは

ほぼ毎日同じ電車同じ車両に乗り

3人組の大学生のお姉ちゃんと一緒でした。

こんなの今の世の中では信じられないことだし

今の私にもどうやってそんなことになったのか

わかりませんが

幼い頃の私は

スーパーでミラクルなコミュニケーション能力を

持っていたようで

帰りもチャーンと誰かのお世話になって

大人な頼れる誰かと一緒に帰っていました。

母は最初の方は心配で

私にバレないように

私の後ろをつけてきていたこともあった様子

お世話になってる方に

お礼したりしてくれていたそうです。

何も知らない私はいつも

みんなが助けてくれることを

不思議に思っていたのか思っていなかったのか

全然記憶がないのです。


みんな大好きでした❤️

守られて守られて育ってきた私

その幼稚園では

大きな教会があり

神様にお祈りするお御堂と呼ばれる場所があります。

ほとんど灯りがなく、

ロウソクと少しステンドグラスのような窓から

外の光が入ってくるくらいの所に行き

手を合わせ毎日お祈りをします。

幼稚園に入る前にお御堂に行くのが

通常だったので

毎日特に不思議にもおもわず自分の言葉で

日常の事をお祈りしていました。

今日もみんなと仲良く遊べますように☆

とか

誰かが熱を出したと聞くと

お友達のお熱が早く下がり元気になりますように☆

とかそんなことです。


ここで育んでもらった気持ち

ここで育んでもらった気持ちが

おそらく今の私の素にもなっていると思います。

小さいというのは

本当に吸収率抜群

新しいスポンジみたいなものです。

こうですよーと言われたら

疑うなんて全くなく

そうなんだーー☆じゃあそうしよう‼️

となります。

一番心に残っているのは

〜1人の小さな手〜という讃美歌です。

1人の小さな手

何も出来ないけど

それでもみんなの手と手を合わせれば

何かできる何かできる

という歌詞です。

困った人を見ると放って置けない気持ちになる

今の私の素です。

もちろん何も出来ないこともありますが

何かできることはないかな??と

思える気持ちは私が持とうとして

持てたわけじゃなく

両親が必要な心が育つ5.6歳の時期に

そういう場を選んで与えてくれたお陰と思います。

ちなみに私が4歳の時母は入院していたため

私はブログでも書いたように

https://ruru1234.hatenablog.com/entry/2019/04/10/180052

自宅ではない場所に預けられ

少しの間、両親ではない人に愛を与えてもらう期間が

あります。

人の心は両親じゃなきゃ育たないわけではない

愛情を与えてくれる人は全てその子の心を

育てるのだと感じます。


悲しいニュース

子供虐待の悲しいニュースを

見たり聞いたりする度に

とても複雑な気持ちになります。

子供が欲しくても出来ない人が

世の中沢山いらっしゃる一方で

欲しくもないのにバンバン産めちゃうから

自分の生活環境の変化によっては

子供を疎ましく思う家庭もあること

可哀想に誰にも愛されてる実感なく

一生を信じる人から酷い仕打ちを受けながらも

それでもその人を

信じ続けながら無くなる命があること

どう思えばいいのか本当複雑すぎます。

私の小さな頭ではパンクしそうな案件です。

自分が実際子供を育ててみて思うこと

私は幸せなことに

大好きな旦那様が望んだ通りの順番で

望んだ通りの1姫2太郎 (1人目女、2人目男)

奇跡ともいうタイミングで

2000年生まれの辰年の男の子という

無理難題も旦那様の願い通り叶えてもらいました。

でも好きな人の子でも

子育ては本当に大変なものでした。

寝ていられないほど大きな声で泣き喚き

どこかが痛いのだろうか、それなら大変だ一刻も早くと

心配で救急車を呼ぼうとすることも

私的にはよくありました。

でもそんな時いつも11歳年上の旦那様が

どれ貸してご覧‼️と

子供をベランダに毛布で包んで抱っこして連れ出し

遠くに見える信号を見せてくれるのです。

暗闇に光る信号の色を変わるタイミングを

まだ言葉のわからない赤ちゃんにゲームのように

ほら〜もうすぐ変わるよ〜何色になるかな〜♪♪♪と

伝えてニコニコ話す旦那様

私は心配しすぎて本当に大丈夫かしらと落ち着きがなく

疲弊していても

そんな旦那様の様子に赤ちゃんの気持ちも落ち着き

毛布で包んだ安心感もあり寝てくれるのです。

夜泣きしても2人で乗り越えました。


若いだけの私だけど出来たのは旦那様のおかげ

子育ては本当に大変です。

小さい時には小さいからこその誤飲や危険物への

対応などもありますし

大きくなればなったで、

勉強や友達や異性関係のこと進路に今後の人生まで

悩みは尽きません。

1人で数人育てている人を私は本当に尊敬します。

1人で全てを受け入れて本当に大変な中

頑張ってるシングルママさん達やシングルパパさん達

あなた達は本当に素晴らしいです。

ニュースなどで

クローズアップされるのはいい加減な親ですが

世の中には本当に頑張り続けているシングルの親が

たくさんいること

知ってもらえるといいな。と感じます。


ひとえに旦那様のおかげです

若いだけの私が子育てできたのは

旦那様だったから

いつもいつも男なので口数は少なめ

お仕事もあるため全てに協力的なわけでは

もちろんないけれど

大事な時には飛んできてくれる旦那様だから

子育てをやってこれた、できたのだと思います。

きっと私はこれからも

旦那様に頼ることたくさんあると思います。

でも私も11歳若いから出来ること

老眼になって細かい字を読みたくない旦那様の

代わりにできることたくさんやっていきたいと

思います。

困っているなら放っておけません。

老化の歩幅も合うことは無いけれど

痛いと言えば

私もその歳になればそうなるのだわーと

少し早めに先を歩いてくれる旦那様を

労ってあげたいと思っています。

幼稚園では

☆☆☆をする時間

そういう感じの集団行動を身につける場所ではなく

お部屋がたくさんあり

自分でやりたいことがあるお部屋に自由に行って

自分の好きなだけ

そこに居ていい。

なんなら一日中

色水遊びでもいいし、木材の積み木でもいいし

お茶を習うおばあちゃん先生がお着物姿で

お作法を教えてくれる茶室もありました。

生菓子が食べたい時は頑張ってお作法に厳しい

おばあちゃん先生の元に行くのが

お菓子にありつく前の

試練でした。

勿論園庭も遊具遊びも

ウサギも小鳥も、猿も居ましたので

色んなお部屋で好きなだけ遊んでいた記憶があります。

☆澤くんという好きな男の子もいました。

優しくていつも眺めていた記憶があります。

この男の子とは後に小学校も

ここの幼稚園からただ1人一緒で、

なんだか嬉しかったのを思い出します。


そんな幼稚園を経て小学生に

小学生になり私の性格は激変

今思うと地域の同じ幼稚園から同じ小学校という子が

圧倒的に多い小学校だったため

私立の幼稚園から、地域の小学校に上がったのは

2人だけでした。

もう既に輪ができでいるところに

入っていくのはいくら私でも無理だったのです。

ここで一気に1人を好む

引っ込み思案さんに変身しました私。


そうして昨日のブログに書いた1人大好き期を過ごすのです。
https://ruru1234.hatenablog.com/entry/2019/04/29/141205

1人もいい。

人は1人で生まれてきて

人は1人で死んでいく。

とよく聞きますが

私の母もまた

1人で何かをすることを

とても応援してくれる人で、

お菓子の袋がかたくて開かなくても

絶対手を貸してくれませんでした。

食べたいなら開けれるよ。

やってご覧!!

ポテトチップスが飛び散ろうが

やらせてくれました。

今でも瓶がかたくて開かない時以外は

極力母の言葉を思い出して

1人で開けています。

ちなみに瓶がかたくて開かない時は

旦那様や息子くんに頼ります。

チカラ面で頼りになる人が2人に増えました。

精神面で頼れるのは娘チャンです。

母は目と耳と口と足があれば何でもできる

が口癖です。

自分でやることを

一番重要と教えてくれました。

手伝いたいようなことも

じっと見守り手を出さずに居てくれました。

どこかで問題にぶち当たっても

人に聞いたらほぼ解決出来ることをいつも

身体で覚えられるように接してくれました。


高校生の頃

お財布を持っていないことを自分で把握せず

ほぼ人のいない昔の改札を通り

電車に乗ってしまったことがありました。

どうやってそのようなことになったのか

思い出せませんが

目的地の駅でそのことに気づき途方にくれました。

その時母の言葉を思い出していました。

目と耳と口と足があれば。。

困った時は誰かに話して

この状況を打開する案をもらおう。

藁にもすがる思いで

きっととても困ってることを訴えたのだと思います。

心優しい売店のおばさんに

1000円をお借りしたことがありました。

後にお礼とお借りした1000円札を

お返ししに行ったのですが

あの時のことは未だに忘れられません。

世の中本当に目と耳と口と足があれば

本当に誰かにめぐり合い助けられることもあることを

学びました。

目と耳と口と足だけがあるなんてことは

まずありませんが

母が言いたかったのはきっと

物事を見る目とそれを聞く耳と想いを伝える口と

大地を踏みしめて歩く足

この4つがあれば

生き抜いていける

そんなことなのかなーとこの時感じました。


引っ込み思案な性格も程よいところまで修正

いじめのようなこともありつつ

性格に修正も加えられ

色んな影響を受けて

今の私が形成されています。

出会った全ての方と

愛情深く私を見てくれた方々のお陰様です。

黙ってるだけではなく

言うときは言うことができるのは

きっと母の遺伝子のお陰様です。

どんな事態にも

良かったを見つけて

我慢に見えることも楽しんで

苦にならないのは

我慢強い父の遺伝子のお陰様です。

平成最後の今日

子供達と短時間ですが

お出かけしました。

東京の街を大きくなった子供達と

歩きながらしみじみ

私が守られてるように感じました。

人の波に私が邪魔にならないように

そっと手を添え誘導してくれる息子くん

息子くんのご機嫌を損ねないように

息子くんの新しい大学生ファッションを

アパレルのお仕事経験者の娘ちゃんが

提案してくれます。

そこに無いものを

別店舗にあるかまで積極的に店員さんを捕まえて

聞いて、お目当てのものをゲットできるように

手はずを整えてくれる娘ちゃん

可愛い2人子供達と過ごすひとときは

最高でした。

今日は旦那様は音楽の楽団の方の用事で

別行動でしたが

本当にかけがえのない宝物をもらっている私

幸せをしみじみ感じました。


こんな日があるから
また頑張れる

楽しいことの後は

やるべきことに目を向けて

やりにくいことにも取り組むようにしています。

今日で平成は終わってしまいますが

明日がある私

それがまたとてもとても幸せなことと思います。

今日も何とかかけたこのブログ

皆様も

今ある幸せに是非目を向けて見てください。

人間は無いものをねだる生き物ですが

あるものに目を向けると

実は幸せはそこかしこに

散らばっています。

小さく無いんですよ。

そのあなたの持っている幸せ

実はそれが欲しくて欲しくて願っても願っても

手に入らない人が

世の中には多くいること

私は知っています。


明日が今日より良いとは限らないけど

あるものにフォーカスして生きていきたいと

私は思います。このブログを気に入っていただけたら

とても嬉しく思います😌🌱✨


本日も最後までお読みいただき誠にありがとうございます😊なんとか令和になる前に投稿できそうかな❤️

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