RURU1234’s blog

私のこと家族のこと日々のお料理書き綴りたいと思います。

退職するまで私がいた場所

息子くん大学入学式を機に

最近私から消えたものがあります。

何かのたびに見ていた

悪夢です。

途中で投げ出したため

明確な終わりが無かったため

ずっと結婚して子供ができてからも

『退職が出来てないのでもう一度戻ってもらいます。』

ええ?!子供も旦那様も置いてですか??

という夢をよく見るのです。

動悸と共に飛び起きてハッと我にかえる。

そんな感じです。

セレモニー

人生にはたくさんの式があります。

私が生まれてからたくさんの式がありました。

生誕、お宮参り、お食い初め、入園式、卒園式、

入学式、卒業式、と繰り返し、結婚式、

離婚式はないけど、お葬式も

そのどれもがとても大切で

節目節目を超えたという記憶にのこるもの

これが無かったため

ずっと何原因かも対処法もわからずに

悪夢を見るしかありませんでした。

出来ることはそれしかありませんでした。

もう一つセレモニーで欠席したもの

ちょうど2番目の息子くんがお腹にいた時

大好きな大好きな母方の祖父が亡くなりました。

嫁ぎ先の両親に相談すると

妊婦はお葬式に行くのは良くないとのこと

どうしても行きたいならお腹に鏡を入れて

行きなさい。でも行かない方がイイのよー

そんな感じに話したと思います。

私の主人は長男です。離れて暮らしいているけど

長男の嫁としては嫁ぎ先の親の言う助言を、無視する

なんて出来ませんでした。

だから祖父には悪いけど

心の中で祖父のお葬式に参列しました。

でも実際は目にも耳にも何も残らず

私の中では祖父が亡くなった実感が

未だに全くないのです。

あの奈良の西大寺の公団に今でも

ピンポーンと押しに行ったら

中から祖父が出てきそうな気持ちさえします。

生きていれば100歳は超え

ビックリされる年齢〜あっ、もう亡くなってますがww

このように人間は節目節目を

周りの方に祝ってもらったり

色々なことを感じるからきちんと通過できることを

実体験として感じます。

そこを
息子の大学入学式とリンクさせて上書きする

神様の凄さを感じました。

そしてあんなに思い出す事なく封印してきた

記憶を吐き出しても

もう連れ戻される夢を見なくなったのです。

私の原点

私の育った家は

倫理というものを勉強しているお家でした。

元々母が3番目の妹を産んだあたりから

病気がちで、それを心配した方が

たまたま我が家に倫理というものを

お勉強してみませんか?と

訪問してくれたのがきっかけです。

何にでも興味を持つ母でしたが

体調だけはどうにもならず

寝ていた部屋から少し窓を開けて

応対していたそんな状態でした。

でも根気強くお誘いいただき

少し元気のある日に行ってみたのが

きっかけで母も少しずつ倫理をお勉強するように

なりました。

父は最初行かなかったので

母1人行ってましたが

幼いなりに私は母が1人で可哀想な気がして

付き添って一緒に行ってました。

次第に家族も行くようになり

気づくと5人で行くようになりました。

倫理とは人が生きていく上で

大切なこと

そんな解釈でしたが

私の原点です。

二つ上の姉が憧れ

私はずっとずっと

何故だか姉に憧れてきました。

今も会う度素敵だなぁと思います。

誰に対しても等しく優しくて、柔らかいのです。

自分の考えを押し付けようとせず

ほぼ受け入れます。

そーかそーか大変だったねーと

聞き入れてくれるのです。

今も素敵な姉だけど
昔も今より憧れでした。

私が元いた場所に私より先に姉が行って

一年後帰ってきたとき

所作が美しく、言葉遣いが丁寧で

物腰が柔らかく、でも、嫌味がなく

言葉では言い表せないほど変化してました。

だから私も同じ道を目指しました。

後悔なんて感じません

両親は挫折して帰ってきた私を

今でもゴメンねーと詫びてくれますが

私には後悔は一切ありません。

自分で決めて目指した道だから

きっかけは誰かであったとしても

私は自分で最終的に決めた記憶があるため

この人生に後悔は1つもしていないのです。

それよりも、こーなる予定で

こーなっていたんだとしたら

スゲーな神様って感じます‼️

高校では

受験で私学志望校に不合格し、

近場でどこでも〜〜と選んだ高校

商業なのに8クラス中1クラスだけ

進学を主に目指す子達のクラスがありました。

元々志望校じゃないため

どちらにしてもココならいいかぁーと

進学クラスに入りました。

別に特段どうということもなく

商業科目が減った分普通科目が増えるだけでした。

余裕のあるところだと楽に過ごせたのが

一番良かった。

そして後に旦那様になる人も

簿記検定などの知識あり

そこも共通点になります。

2年間同じ仲間と過ごし

いよいよ進路

多くの子が進学を希望する中

姉と同じ場所に就職をしましたが

私は大学に進学するより

人生的に見てこちらの方に価値を感じました。

実際行ってみると

それはそれは大変な日々でした

3時半起床

朝礼

寮の掃除

身支度整え今度はお勉強会前の早朝掃除

倫理のお勉強会

寮の朝ごはん (当番制で回ってきます。)

朝ごはん後急いで出勤

出社後会社の掃除

仕事

仕事後急いで戻り

寮の掃除

今日の報告書提出 作文のようなもの

夕飯のお手伝い

夕飯後片付けのお手伝い

お風呂

終礼

就寝 21:30

勿論門限は夕方でした。

特別門限でも終礼までには帰宅が絶対

今考えると修行僧みたいな毎日でした。

土曜は職員全員で倫理の普及活動

日曜は倫理の普及は少しと自由時間

そんな毎日でした。

眠る時間が早いため朝早くは起きれますが

とにかくハード‼️

ノルマではないけど

目標を決めて歩く土曜

玄関先で断れることの方が

多いけど

人の話を聞くのはとてもいい勉強になります。

人にはそれぞれ様々な人生観や

思いがあることもこのとき学びました。

そして目標というものについても

達成するであろう普通の目標にするのか

達成は難しいであろう目標にするのか

そこの設定次第で1日はどうとでもなることも

実体験として学びました。

私はいつも父と母の子そう思うと

高い目標のほうで挑戦したくなります。

えええ?!と言われながら高い目標

何故高い目標の方がいいのか

それは低い目標にしてみればわかります。

自分の才能を開花させられない

現状に甘んじることの怖さ

たとえ達成出来なくても

低い目標にする2倍は確実に成果をあげられる。

具体的に皆が、1〜2の時

私は3〜5

普通の1.5倍の目標がちょうど良い。

何のアテもなくても

必死でやれば応援が入ります。

時にうまく行かず自分の無力さを感じますが

こんなもんか。と思った、そこからが

いつでも勝負

お伺いをたてる生活

寮では先輩との2人暮らし

真ん中のカウンターで部屋が2つに仕切られ

ココから先はプライベート空間

全て先輩にお伺いをたてる生活

買いたいものがある時も

プレゼンをしてオッケーが出れば

買えます。

一見変な話に感じるかもしれませんが

結婚後とても役に立ちました。

旦那様のものは私のものという

ジャイアン的発想にはならず

いつもお伺いをたてることが今でも出来ます。


寮のご飯作りのお手伝い

当番制で回ってきます。

新人はできることは

残飯処理とか水回りのことが

多かったですが

材料の切り方などを伺うなども勉強になりました。

結婚後嫁ぎ先のお母さんと

台所に立った時コレはとても役に立ちました。

照れながらやって見せてくれる義理のお母さん

やはり、聞かれて嫌な感じはしないのが

お伺いなのだと感じました。


言い訳はしない

言い訳はしないようになりました。

これが今の職場でとても役立ち

お客様のご意見を伺う時など

叱られる場面もありますが

一切言い訳をしなかったね。と

褒めていただくこともあったりします。

それをきっかけに

信頼をしていただけるようになることもあり

その方の信頼があるならと繋がり

他の方も私を信頼してくださることも

あるのです。

このように私が退職までいた場所は決して悪い場所ではありません

若かった私には

大きすぎた期待を背負いきれなかった

そんな感じです。

何事も経験値

私は挫折や引きこもりなどの経験をしてから

強者より弱者に目を向けるようになりました。

長いものに巻かれたい人が多いし

世の中その方が楽に渡れるけど

私は短いものに目を向けて生きていきたいです。

ポケモンだって数々の戦いを通して

傷だらけになりながら成長して

経験値を積みやがて進化して

大物になっていくわけで

人間もそれでいいのでは??と

思うのです。

自分を持っていたい

ここまで話してきましたが

もともと私はこんなにハッキリした考えの

持ち主ではありませんでした。

母に聞くと図工の時間の作成用に

材料をたくさん持たせても

みんなあげてしまう小学生時代で

自分のものがなくなってもあげてしまう子

だったそうです。

それを心配した母が

コレはルルちゃんのためにお母さんが大切な

ものをあげるんだから、お友達に絶対あげちゃだめよ

そういうので

大量に材料を持ってるのにお友達にあげずにいたら

おうちに学校の先生から

電話がかかったことがあったようです。

今となっては笑い話ですが。。ww

人というのは常に成長できる

そんな風に私は思います。

どんなことからも

学ぶ姿勢があれば

学べるのです。

Twitterを始めたのもブログを始めたのも

まだ間もない私ですが

どちらも今年から始めた事です。

40半ばでこんなワクワクするなんて😆

毎日が新鮮でとても面白い

思考を読むようで

ワクワクします。

みんな一生懸命生きてることを

ひしひしと感じます。

今日はそのTwitterで知り合った姉のフォロワーさんが待兆初来店

記念すべき日

ずっと楽しみにしてくださってた様子

先程オーナーにも連絡して

今日の予約のS様のこと

待兆も御来店を心待ちしております。

大歓迎ぶりにビックリされるかもですが

それが待兆がしたいことです。



昨日より待兆の今後の使い道について

オーナーも一筆したためた様子

興味のある方、閉店までに一度足を運んでいただき

何に使えそうか店内をご覧くださいませ。

サロンや事務所

キッチン付きなので

いろんなことに活用していただけると思います。

備品などはオーナーと相談してみてください。

きっと何かこのまま使っていただけた方が

一番ハッピーな気がします。

待兆は4/15日まで
営業

今のところ最終日 予約等まだまだイケるようです。

最終日には私も手伝えることになりましたので

標準語で喋るものがいたらルルです♪

お近くの読者様、良かったら会いに来てください☆


ポチしていただいたら後ほどこちらも😊

読者になります。現在バタバタしているためすこし

お時間いただきますがよろしくお願い致します。

今日も最後までお読みいただきまことにありがとうございました。😊❤️読んでいただけるだけでとても励みになってます。thank you☆☆☆

姉、妹、私

会ってすぐ写真撮ろうとしたらムービーという

大失態www