RURU1234’s blog

私のこと家族のこと日々のお料理書き綴りたいと思います。

自宅じゃない場所

鮮明に残る幼い時の記憶

記憶の中では懐かしい場所

父方の祖母の住む木造のハナレ

扉もガラガラ〜と開けるスライド式

そのスライド式扉を開けて

慣れた様子の父の後に付いて入る

父の手には私のお布団一式と荷物

私のお布団がドーンと置かれたその場所は

離れの玄関の小上がりの座敷

少し祖母と話して

じゃあ母さんよろしく頼むわ〜すんません。

とてもよく覚えている父の声

母が妹を出産後直ぐ入院

幼かったためどのくらいの期間なのか

わからないけど

私たち三姉妹は

妹が産まれたて赤ちゃん、私が4歳、姉が6歳の頃

父の兄弟にバラバラに預けられた

姉は横浜 父の3番目の兄一家

私は京都 父の実家 父の両親と長兄一家

妹は京都 父の2番目の兄一家

よく預かってくれたなぁ〜〜と

子供を持つ親になってわかる感謝


母は病院

産後の血液検査だろうか

母から結核菌が出た様子

詳しい検査の結果

腎臓結核

しばらく入院が必要だったようだ。


あまりわからないけど

環境に馴染むのが早かった私

そこでの生活はとても面白かった

幼稚園はお休みなので

朝からずっとお婆ちゃんと一緒

畑で野良作業するお婆ちゃんと一緒に

いつもちょこまか付いて歩いて

小さな野菜などをもらって

本宅玄関の外の階段付近で

実際食べられる小さい小さいお野菜を使って

おままごとをして遊んだ。

お鍋も包丁も子供が遊ぶのにちょうどいい

ほぼ切れないものちょっと歪なものを

使わせてくれた。

私凄い特別なことさせてもらえてる〜

ととても嬉しかった。

私はちょっと怖がられてる人が好き

父の兄は父より12歳も年上で

この家での存在感は祖父の次に

怖い感じ

みんな少し遠慮して

距離をとって話してる感じ

でも私はおじちゃんがだいすきだった

みんなが越えられない壁を超えて

おじちゃんとは直ぐ仲良しになった。

耳たぶ貸して

眠れない夜は

おじちゃんの耳たぶを触りながら寝る

今考えると

大笑いだけど

おじちゃんは眠れなかっただろうけど

耳たぶを貸してくれた

クチュクチュと触ると

眠たくなるおじちゃんの耳たぶ

おじちゃんは眠れなかったよねーきっと



ボーッと空を眺めるのが好き

今でも空がだいすきだけど

雲も朝日も夕日も全部

この時好きになったんだと思います。

おじちゃんの家 本宅からの空の景色は

遠くの方まで何もなくて

空がとても綺麗に広がって見えました。

雲が何の形に見えるとか

そんな遊びを1人でしていた気がします。

嫁姑問題

小さかったけど

何故かうまくいってない

おじちゃんの奥さんおばちゃんとお婆ちゃんの関係が

とてもとても気になりました。

いつも洗濯を手洗いで大きな水色のタライと

洗濯板で足まで使ってしている

おばちゃん

手を繋ぐとその手はいつもガサガサで

おばちゃん手ェガサガサやで〜と言います。

おばちゃん何してるかな??と

私が様子を見に行くと

とても忙しそうだけど優しいお顔で

ルルちゃんはええなぁ〜〜

と言います。

あの時の幼いわたしはわからなかったけど

今ならその言葉の意味がわかります。

仲良くしたいけど出来ないって

辛いですものね。。思い出すだけで涙出ます。


わたしの嫁姑問題

大きくなってわたしも大好きな人と結婚し

旦那様のお母様との関係って

やはり難しいものなんだなぁと感じました。

やさしいやさしい家で育ったわたしには

わからないほど旦那様のお母さんはスピーディな人

わたしのようなおっとりは

ちょっと苦手なのかな??と

いつも思います。

でもわたしが好きな旦那様もよく考えると

スピーディな人

スピーディな人はおっとりを選ぶのかな?

わたしの母もスピーディだけど

その母が選んだ父はおっとり〜

面白いですね🤣

離れて暮らしているから

一挙手一投足きになる私

だいたい旦那様に話すと

大丈夫だってーーと言われるけど

本当?!って思っちゃう

女性同士ってどこか微妙なラインあるんですけど

まんまな性格がウリな男性は

そこ察知出来ないんですよねー

こうして嫁姑問題って

なんでもないことが根深い確執に

なっていくような気がしちゃいますがそれは

私の頭の中のお話。

実際のお母さんは会うと素朴でなんでも

交渉上手な凄い人

どんなものでも借りてきたり貰うのが

上手なんです。

ちょっとしか使わないものとか

その時だけでいいものとか

買わずにどこからともなくお借りしてくるのです。

私その分野苦手なので本当尊敬します。


母が退院しても

ちょこちょこおじちゃんのお家には

お泊りに行ってました。

第2のお家

セカンドハウスみたいな

贅沢な話です。

夜がキライ

大好きな人がいっぱいいるこの場所ですが

本宅と離れは少し離れていて

小さかった私にとっては

とても覚悟のいる移動でした。

本宅でご飯を食べて寝るギリギリ前まで過ごして

お婆ちゃんのいる離れへ帰る

このとき通る砂利道に

飼い犬が解放されてるため

怖くて怖くてー

一緒に歩いてくれる人にしがみつき

泣きながら暗闇と犬の恐怖に

耐えて歩かないといけないんです。


やっと辿り着いたら

お婆ちゃんにしがみつき保護される私

強いお婆ちゃんは犬を追いやり

やれやれと

寝る準備

大きな蜘蛛とも戦ってくれたことありました。

小さい私には恐怖すぎて

奈良にはいないサイズの大きな蜘蛛🕷

実際はどのくらいの大きさなのか

謎ですが

大人の手ぐらい大きく思った私の記憶

小さかったから故、

そんな拡大された大きさになってます。


あれなんなんだろか?

みんなあるのかな??

小さいときとてつもなく大変な坂に

見えていたのに

大人になっていってみると

普通の坂やん〜なんや〜😆って

なること〜

もしかしたら小さいとき見た

あの大蛇も

そんなには大きくなかったのかな??

アナコンダくらいに見えたのよwww

笑うだろうけど

本当なんだってーー☆

そのお家には三人兄弟

長女、次女、長男

3人のいとこが住んでいました。

みんな優しく

私をお世話してくれました。

母が退院した後も

行くといつも相手をしてくれ

成長を喜び、あんなことあったねー

こんなこともあったねーと

その家での私の存在感は凄かったようです。

お父さんの耳たぶ持って寝るなんて

私達には考えられなかったーww

とか良く自由気ままな私を

あんなに受け入れてくれたなぁと

感謝の思いが深まります。

大好きな人は
徐々に亡くなる

おじいちゃんの話が出てきませんが

おじいちゃんはとにかくカッコ良い人でした。

お顔も父に似ていて私は近づきたいのに

近づこうとすると

アホか

と良く言われていました。

多分おじいちゃんが

どう扱っていいかわからないほど

私は猛アタックしていたんだと思います。

幼い頃の私はとにかく人懐っこく

誰かに連れ去られるんではないかと

みんなから心配されているような子でした。

そんなおじいちゃんも亡くなり

私が中学生の頃

大好きなお婆ちゃんも亡くなりました。


お婆ちゃんが亡くなった時のことはすごく覚えています。

お婆ちゃんが危ないとなった時

私達はみんなで見守っていました

お婆ちゃんの息は苦しそうだけど

呼びかけると

また息をする

そんな繰り返しでした。

みんながもう呼びかけるの辞めてあげよう

苦しいのが続くのは可哀想だ

そんな気持ちが強かった様子

呼びかけるのを辞めてお婆ちゃんの命が

終わりました。

こんな終わりでいいのかわからなかったけど

こんな終わり方もあるのだなぁーと感じました。

大好きなお婆ちゃんがこんな風に居なくなるのは

想像していなかったので

とても悲しかったのを思い出します。

人の命は儚いけど強い

私の大好きなおじちゃんは

ビックリ⁉️ですが

まだ元気に生きていてくれます。

母の乳がん両側手術のため実家に長期間行ったとき

こんな機会でもないと行けないからと

久しぶりにおじちゃんの家に行きました。

辺りの様子は全然変わって

私が幼い頃は走ってた機関車は勿論

見られないし

目の前の小学校はなんだか違うものみたいだし

でもおじちゃんはソファーにどっしり座って

いつものおじちゃんでした。

お土産を渡し、おじちゃんの痛いという

足をさすり

ワタシおまじない出来るの。と

おまじないしてあげました♡

そんなんで効いたらビックリするわ⁉️と

ケラケラ笑いながらはにかむ笑顔

昔のままだなぁと思いました。

おまじないする手から伝わる

おじちゃんの足の痛みが可哀想で

ウルウルしちゃいました。

そんなおじちゃんと一緒に写真撮りたいと

カメラを向け横に座ると

ビックリしつつ私の言いなりで

ひっついてカメラ目線をくれるおじちゃん。


89歳‼️

こんなに長く生きるなんて思わなかった

みんな逝ってしまって寂しいだけや

足は痛いし体は痛いし

せんどやで〜せんどや〜と繰り返します。

せんどとはこの地域でめちゃくちゃ大変なこと

なんども死にかけながら生還してるおじちゃん

現在も記録更新中!!

町からも表彰されたとか❤️😂すごい!!


この後お墓まいりをして帰りました

アホしか言わなかったおじいちゃんと

ずっと一緒に居てくれたおばあちゃん

の眠るお墓

父と久しぶりのお墓まいり

嫁いだものが嫁ぎ先以外のお墓まいりって

あまり良くないと聞くので

まず頭で嫁ぎ先のお墓を思い出して

よーくお詫びした後参りました。

あんなに長くて怖く感じたお墓への坂道は

こんなに緩やかな坂だったことを

また再確認しました。

子供の頃大きく大変に思ったことはきっと大変じゃない
オトナになるって最高❤️

この時もう一つの出来事

お参り中、電話が入りました。

ザワザワする内容でしたが

すぐ乳がん術後の母の待つ病院へ

戻ったのを思い出します。

何もないと思ってた方の胸が悪かった現実

乳がんの怖さを知りました。

二つのお胸からがん細胞はでたけど

術前は温存でも良いと言われていた右が

出血があった左より悪いという現実

医者も驚くその結果

両側全摘じゃ無かったら。。と思うと

血の気が引きました。

大丈夫

みんなでそう言い合いました。

よかったおかげさまやね。

大難を小難にしてもらってるね。

その日そんなこととは知らずに買った

綺麗なバラの鉢植え

待兆にまだあるかな??

色々あっても超えるしかない壁

母は決意したように見えました。

女性のシンボル両胸と引き換えにもらった

命をしっかり何か役に立ちたい

前からそんな気持ちの強い人だけど

より一層そんな気がします。

今日より待兆では

大きな模造紙がつらつら

皆様のメッセージ桜で

埋め尽くされるのをお待ちしております。

本日は満席のようですが

予約いただければまだまだ明日以降来店いただけます。

奈良市北之庄町17-4

0742-62-2939

奈良の郡山イオンすぐそば

駐車場🅿️もございます。

お電話ください。

お持ち帰りも可能です♪

最後までお読みいただきありがとうございます😊