RURU1234’s blog

私のこと家族のこと日々のお料理書き綴りたいと思います。

神様がくれた時間❤️2

8月 とても暑い日でした。

太陽が燦々と降り注ぐそんな中

父と母が熱望していた

淡路島行き

三姉妹の誰かが同行できれば

幸せかな〜〜

いつなら行けるのか

そんなの誰にもわからないから

病気療養中の父母には

プレッシャーになるのも大変だろうからと

何も言わずに

計画だけ立てていました。

淡路島

淡路島は

奈良で父と母が20年続けたお店を

閉店してから

父の思いつきサプライズで

父と母2人だけで数ヶ月前訪れた場所

ある日突然200を超える植物の写真が

送られて来た時には本当ビックリしました。




まるで2人を歓迎するかのような

植物園でのクラシック演奏に耳を傾け

クラシック好きな父は大変感動したそう。

たまたまたどり着いた場所で大好きな植物に囲まれ

癒しの時間を過ごし

植物園のクラシック演奏2回公演を

余すところなく堪能し気付いたら

とっぷり日が暮れてしまっていたそうです。

20年間お店だけに捧げてきた2人は

贅沢もあまりしてきていない為

多少の躊躇はしたようですが

疲れている父を気遣い父は術後間もない母を気遣い

急遽泊まる場所を探したようです。

アナログ世代の2人が奇跡的に

当日受け入れてくれるお宿を見つけ出したと聞き

とても驚きましたが

こんな日々のために

閉店解体の道を三姉妹で勧めて良かったなぁ〜〜と

私達三姉妹は心から思いました。

これまでの日々

父は77歳母は70歳まで働きすぎなほど

働いた2人

そんな2人にこれからは

何も心配しなくていい暮らしを〜と望んで

ゆっくりしてね〜〜が合言葉の頃でした。

まさか、こんな展開夢にも思わず居る

仕込みに追われる日々から一転

何もしなくていい日々への切り替えに

それはそれで慣れない2人

自由すぎる時間に苦戦はしていましたが、

鬱になったり、ボケてしまったりしないよう

規則正しい生活をと母が心がけていた頃でした。

そんな頃でした。

毎日一緒にいる母がしきりに

お父さんの様子がしんどそうで

疲れがたまっているのかな〜〜

環境もガラッと変わったしねー

今までのお店を経営し続けるためのプレッシャーから

解放されたからもあるだろうけど

何か様子が気になると言うのです。

じゃあ念のため診てもらおう。

疲れの蓄積なのか少し減った体重も

みんな気になっていました。

老人性うつとかそういうのかも。。

とりあえず側にいる母にお願いし

病院で診てもらって〜この時は

そんな大きなことなんて考えもしませんでした。

大事なお父さん、みんな早く安心する予定でした。

しかし人生とは何があるかわからないもの

血液検査で異常がわかり諸々急ピッチに

進む検査

そうして見つかった、

父のすい臓ガンでした。

でも、父は

今日まで自分の病気を一切悲観することなく

日々を普通に感謝して笑って過ごしています。

だから私達も

父につられてついつい笑って過ごせるのです。

だからこの、淡路島への旅行も

未定ながら、父や母の喜ぶ顔が見たくて

三姉妹は、ただただそれだけでした。

妹夫婦の魔法 秘密の計画

そんな思い出深い、場所

それが、淡路島でした♪

いつか決行するため

1番両親の住む奈良に近い妹と妹の旦那様に

この事は託しました。

どの辺りに誰が両親の元に帰っているかは

わからない中

それでも母1人ではなく

今度はもっと大勢で

淡路島へ〜〜父母が感動したものを

一緒に見て父母から生まれた家族である私達も

一緒に感じたい。と

そんな思いでした。

お泊まりでゆっくりできる場所の確保も

妹夫婦が全てを引き受けて手配してくれました。

でも、まだ、

父母には淡路島の あ〜の字も伝えていない状態

宿泊先をキャンセルするなら明日中に

そんな日に伝えることになりました。


ドキドキの連続💓

思いもよらぬ妹夫婦からの提案に母は

驚いていました。

病気療養中の父を支えるのに一生懸命で

旅行なんて考えもしなかった母は

父の病状的に行けるのか心配もあった様子

そりゃそうだっ!!

私が母の立場でもきっとそう。

三姉妹のグループラインで

どのように説得するべきか

話し合いが続きます。

姉の魔法

こんな時いつも頼りになるのは姉です。

神奈川から距離を感じないほど

いつもいつも難問をスルッと進めてくれます。

まず、母の心配を取り除くべく

姉は父の主治医に相談を持ちかけます。

こんな計画が実は有るのです。

父の主治医も突然の姉からの電話に

驚かれる事だろうと思いましたが

この日はあいにく丁度病院を後にされた所でした。

父の主治医は父が全幅の信頼を寄せる先生で

お忙しくても私達患者家族の気持ちも

しっかり聞いてくださる

本当に素敵な素晴らしい方なのです。

ですから私達三姉妹も何かあっても無くても

遠くても、お電話ででも

ご相談をいつでもしてください。と言われており

かなり多くの心配を無くしていただいています。

この日は姉は状況を

看護師さんに伝え、明日先生に伝えてもらい

見ていただいて〜〜外泊出来る状態か判断いただく

事になったようです。

看護師さんの主観も

無理を言って尋ねてみたところ

今が1番安定しているようにお見受けします。

とのお言葉

勿論主治医の先生の判断ではなくても

私たちは一縷の望み(イチルノノゾミ)を持って

その日を過ごせました。

どうなることやら

父に話す前に母に話してみましたが

母は無理じゃないか。。と言います。

父にも妹が話すと同じくそんな風に思う様子

そか、それなら今回は見送ろうか。。

そんな話も三姉妹の間で出ていました。

でも、そうだった。。大切なことを忘れていた

当日泊まる事が出来る、お宿の間取り図など

見せていなかったことにふと気づきました。

実は私の母は

乳癌両側の全摘手術を受けて1年

大浴場などに入り辛い現状です。

以前に父母だけで泊まりに来た時には

人のいない時間帯を狙って

少人数の時に入ったようですが

気を遣って気を遣って疲れないよう

お部屋に露天風呂が付いている

大人数でも泊まれるお部屋を予約してくれていました。

最後の悪あがき

そうだー間取り図も見てもらおう〜

ちゃんと見た上でダメならダメで

それなら諦めもつくだろうなぁ〜と

まず母に見てもらいました。

あら〜予想以上に良い反応

これなら行けるかも

いつも父の意見を第一優先にする母は

やはりお父さんに聞いてみよう

良いような気がすごくするけど

お父さん次第かな〜母はそんな感じでした。

妹の旦那さんが取ってくれたお宿は

間取り図だけでもとても素敵で

大人4人子供2人居ても

十分な大部屋

父の返答次第では

三姉妹が全員参加も夢じゃない

そんな感じがありました。

嫁いで来てから両親と

こんなに長く一緒にいる時間を持てることも

無く今日まできてしまった私

今のタイミングなら私も参加できる

こんなことは2度とない

けど父の体調が1番大事

とにかく静かに動向を見守るしかありません。

姉の意見でギリギリまでキャンセルはせず

待つことに。

主治医の一言

次の日の朝

昨夜の姉からの電話の連絡を

看護師さんから受けて

主治医が父のところに来られたようです。

旅行の計画があるようですね〜

良いですよ〜体調も良さそうなので

じゃあ退院しましょうか?いつにします??

トントン拍子に進む主治医のお話に

断ったのにどうなってるんだ??と

父は思ったようです。

父の知らないところで話が進み

泊まる場所の間取りのことも伝えると

行くことにやっと決まりました。

わぁー!!まさかの展開

まさかの前日断られてから

行く事が決まる展開に三姉妹も

驚きましたが

でもとても嬉しい事でもありました。

ギリギリまでキャンセルはせず待とう。

姉の言葉が意味を持ち始めました。

凄いなぁ

主治医のお言葉1つで安心して

外泊できる様子

今なのか今じゃないのか

それは誰にもわからないけれど

ゴー‼️と言われたら行くしかありません☆

本日はココまで

続きはまた♡

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神様がくれた時間❤️1

病気になって

痛い思い辛い思い苦しい思い

しているのは患者さん本人

でもその横には必ず

その人を想う家族がいます。

私の両親も

色んな部位の癌になり

健康のありがたさを

自分の身体を痛めて

生きていることの素晴らしさを

伝えてくれます。

ブログを読むたび

病気の再認識をさせられるようで

嫌だと

そんな父の思いに気づき

しばらく昔の思い出話にして来ました。

前触れもなく変わるブログの内容でしたが

父も楽しく読めるものを

そう想うと昔話も悪くない。

そう思いました。

両親の家はただいま引越し中

今まで住んでいたところは

エレベーターなしの5階

景色は最高なのですが

足を痛めた父には

降りるのも上がるのも

至難の業らしく

今通う病院近くに

姉の嫁ぎ先のお父様のご配慮の元

引っ越すことになりました。

姉は三姉妹の長女であり、その長女さんを

嫁にもらうという事は

そういう事だと姉の嫁ぎ先が

全てをお引き受けくださる形でサポートくださり

みんなで協力し、物件を探しました。

引越しの繁忙期にあたる今頃は

他の引越しの終わりの夕方からという

苦肉の策での引越し

第1便でとりあえず身の回りのものだけ

持っていく形

最終的なすべての引越しは

第2便で9月になってから

知り合いの引越し屋さんと打ち合わせする父

病気になんて見えないくらい

覇気があり元気に動きながら説明していました。

何だかんだ言って帰ろう‼️

私は心に決めました。

今までは嫁いで来た身

旦那様と同じ時に帰る。

そんなものだと思って

我が家の経済事情も考えると

数年帰らないことも

結婚して21年何度もありました。

独身の頃から

親と離れての生活が長かったため

一回一回大切にして来たつもりでしたが

まだまだ足らない

今はそう思い

全てを引き受けてくれる周りに

理解してもらって

出来るだけ帰ろう‼️と思っています。

変な話今一番幸せを形あるものとして感じてます。

状況的には変わりませんが

家族が今まで以上に

寄り添い会える時間をもらっています。

三姉妹が揃うなんて

なかなかない事の筈なのに

三姉妹が頻繁に会い

父母の過ごしやすい環境作りに

新しいところの家具をどう配置すれば良いか。

など試行錯誤を

ラインで共有する日々

必要なものを少しずつ揃っていくのを

まるで新婚さんみたいね〜☆と

仲良く眺める2人

そんな2人の話を聞くたび

何だか幸せの形を見てる気がします。

父はこの時間をこう呼んでいました。

神様がくれはったプレゼントの時間

抗がん剤しながら普通に暮らす

その時間を

そんな風に思っている様子

父のお見舞いと引越し

2重に重なる用事に

なかなか揃わない三姉妹が揃ったり

引越しの準備の手伝いに

三姉妹それぞれの旦那様や子供達

からしたら、娘婿と孫達が

集まり手伝ってくれる様子は

本当に嬉しい嬉しい時間になったようです。

母も自分の病気そっちのけで父を支えてくれています。

皆んなが一丸となれる機会

そんな自分の作った家族を見ながら

父も何だか嬉しそうです。

そんな父の様子に母も嬉しそうです。

他人様から見たら

不思議に思われるかもしれませんが

いつも母筆頭に面白い父の家は

笑い声が絶えません。

笑うと身体に良いから〜と

父もよく笑います。

今我が家で流行ってるのは

食事中

味覚的に厳しくても

食べないと体力がつかない

痩せてしまうと思っている父は

とにかく噛んで食べて水で流し込んで

必死に栄養を摂取しています。

そんな父に

お父さんガンバッ

と母が両手をキラキラ振ると

皆んなもキラキラ手を父に向け

それを受け止めた父が

みんなのキラキラをしっかり受け止めた父が

身体が震えるフリをするという遊びです。

何でもない事だけど

どんな状況でも

ユーモアたっぷり返してくれる父は

すごいと思います。

神様のくれた時間を満喫

きっと本当は皆んな

ずっとそうなら良いのですが

何となく生きていると

そんなこと忘れてしまっています。

そして突然

周りの方が病気になった時

感じられるのかも知れないですね。

私もそうです。

父母が癌になり

癌患者の家族をもう何年もしていても

神様のくれた時間だと

人生全てを思えていませんでした。

でも、今からはそう思って生きていこうと

このブログを書きながら思いました。

下書きがあるわけでもなく私のブログは

思いのまま書いています。

ですから鮮度が命

100記事目の今日

とても大事なことに気付けました。

これも読んでくださる皆様のおかげです。

キラキラ輝くときの中で生きる

全ての人の人生が

神様がくれた時間であること

ほんの少しでも

気付けたら

1人1人の明日が変わる気がしますね〜♪

本日も最後までお読みいただき

ありがとうございます😊

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わたしの昔のお話❤️4

子供の頃って

段ボール箱1つでも

バスになったり

電車になったり

船になったり

子供の心の中では

想像の遊びが膨らみます。

夢じゃ無いけど

どこか夢心地

良い気分なのです。

皆様はどんな遊びをしましたか?

私は三姉妹なので

三人姉妹で遊んだ記憶が

たくさんあります。

お庭の草花を使って

色水遊びや

近くの平城宮跡での

どんぐり拾い

中でもお家の中での

2段ベッドを船に見立て

大海原を行く航海の途中にひどい嵐にあった

前提で

遊んだサメごっこ

強烈に印象に残っています。

三姉妹年齢もバラバラですが

この遊びだけは

想像を膨らませ

2段ベッドの上へ登るためのハシゴでさえ

船にあるハシゴのように思え

気をつけて〜〜

落ちたらワニに食われてしまうから〜

とサメごっこなのに

幼い私たちはそこには何の矛盾も

間違いも感じることなく

ひたすら想像の世界をそれぞれ口にし

その言葉に準じて

毛布やシーツでベッドを覆い

サメから無事逃げるのではなく

いつのまにかワニから逃げる不思議な遊び。

多分このころ

衝撃的なジョーズという映画を

見てしまったことで

強烈に印象に残っていたサメのお顔が

小さかった私たちの

遊びにも反映されていたんだと思います。

私たちは頻繁に

サメごっこを楽しみました。

私の母はざっくばらんで面白い人

白黒ハッキリ

竹で割ったような性格です。

三姉妹をとても優しく育ててくれました。

そのおかげで私たちは

今でも他の人より無理をしない性格に

育っています。

他人によくみられたい。

そんな気持ちはもちろんありますが

ここぞという時以外は特に無理もしない。

三姉妹、とにかく仲が良いわけでもなく

三人兄弟あるあるでしょうが

上と下がくっつくのです。

真ん中の私は大体1人でした。

今考えれば

姉は小さい妹のお世話でくっついていたのでしょう。

でも幼い私からすると

何だか面白く無い構図でした。

いつも2人に反対されてばかり

だけど何故か一緒に遊んで欲しいから

仲間にいーれーてー❤️

とお願いしてしまうのです。

叱られる時は三人並んで正座

決まってるみたいに正座でした。

三姉妹喧嘩の場合は必ず

三人並んで正座

それぞれの言い分も訳も聞いてくれました。

その上でそんな時はこーしたほうがいいね。

と話すように母は

みんな平等にお互いの気持ちが

思い合えるように

私たちの心を育ててくれました。

コレは実際子育てしてみれば

わかりますが

かなり難しいことです。

平等に〜〜とはよく聞きますが

実際はできてない人がほとんど

平等かどうかを相手に考えさせた時点で

平等では無い。と感じます。

でも母のお説教は

見事にくどいわけでもなく

短時間に大切なことを

しっかり心に刻んでくれるものでした。

大きくなった今でも

それぞれがサメごっこで遊んだ記憶が残ってるようで

先日久しぶりに三姉妹が揃い

その話をして大笑いしました。

とても年齢にバラツキがある私たちですが

強烈に印象に残っていて

なんどもした遊び

サメごっこなのに

ワニに食われないように必死だったねーー

と楽しかった思い出に浸りました。

そうだね〜妹と姉は6個も離れているのに

同じ遊びの記憶があるなんて

不思議なことです。

私は幼い頃からずっと想像するのが大好き

空想遊びも大好きでした。

だからサメごっこも得意だった気がします。

まるでそこに本当に居るかのように

サメを感じながら三姉妹で遊んだ

迫力満点サメごっこ🦈の話を

父にもしました。

すると

私の名前を

男の子ならバクにする予定があった事を

教えてくれたのです。

うわぁーー☺️バクという名前も悪くない。。

しかも漢字は

麦にしようと思ってたらしいのです。

なるほどー何事も二番手が得意な私らしい

凄い名前で麦という名前も気に入りました。

夢を食べるバク

コレからも夢を食べて生きていこうと思います。

楽しく生きなきゃ

人生が勿体ない

父と母が居て生まれてきた私

何のために生きてるのかわからない時も

ありましたが

今は生きるために生きようと思います。

そしてどんなことにも

面白がって楽しんでいたいなぁ〜〜と

そう感じます。

久々に書いたブログ

読みにきてくださりありがとうございます。

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私のむかしのお話❤️3

川を見ると

小さい頃

両親に連れられて

飯盒炊爨

今で言う日帰りキャンプをした日のこと

思い出します。

少し暖かくなった頃

きゅうりやトマトを川の水で冷やし

その間に、はんごうで

薪から火をつけた

天然の即席かまどのようなもので

ごはんを炊き

カレーを作ったりした記憶があります。

水を見ると入りたくなるのが人間

気をつけてソーっとサンダルごと

子供の頃から慎重な私は

何事もソーーっとが基本

好奇心旺盛な

姉や妹がやっているのを見て

ちょっとだけ安心して出来たのを思い出します。

川といっても

足をつけられるか否か

その程度の水かさの場所を

いつも父が選んで連れて行ってくれていました。

水の事故は

予期せぬところで起きるので

きっとそんな配慮だったのだと思います。

いろんなものを持っていき作るごはんの美味しさ

文明の利器に囲まれて育っても

川の水で冷やした

きゅうりやトマトの美味しさは

忘れられません。

どうやって冷やすのか知ってますか?

今のようにキャンプ地として

全てが整備されてる場所でない

水も電気も何もない

普通の山の中の川でのそれは

本当に全て持参しなきゃいけない

大変なものでした。

忘れたらもう大変

お店なんてありません。

無いなら無いなりに工夫

またそれが楽しいんです。

昔はみんなそうしていたらしいです。

網に冷やしたいものを入れて

川の流れに持っていかれないように

大きな石を重石に押さえておくだけです。

サラサラ流れる川の流れに

きゅうりやトマトも一定方向に流れようとするけど

大きな石の重石のお陰で流れたりしない

天然の冷蔵庫

マヨネーズやお塩持参で

齧り付くそれは最高でした。

もちろんキンキンに冷えた日も川の水も温かかったのかそんなに冷えない日も

あるっちゃあるけど

それもまた

美味しかったのです。

飯盒炊爨は

我が家の恒例行事だったのかな

青空の下で食べるアレコレは

何をしても最高でした。

場所は父が毎回その時に決めてくれました。

山の中を運転して

少し降りられそうなところがあると

車を停めて私達を車に残し

自分が降りてみて

子供でも降りられそうか

荷物を持っていても

何とかなるくらいの場所か

平らなところはあるか

調理しやすいか

水かさは危なく無いか

水の流れはどうか

車を停められる場所の確保等

何箇所か見ては

移動

そんなことも沢山ありました。

場所選びにかなり時間かけるのは

みんなが楽しく無事に帰るため

楽しい思い出にするため

父は必死で場所選びをしてくれました。

良さそうな場所が見つかると

母を呼びます。

子供たちはまだ待機です。

母と一緒に確認して

ようやく私達も降りて良いよ。と

指示があります。

家から持ってきたアレコレを

川の近くまで運び

調理に取り掛かり

出来るまで遊んだり

お手伝いしたり

本当に楽しかったです。

一度誰かのサンダルが流されたことがありました。

水かさ関係なく

川には流れがあることを

実感しました。

あのサンダルどうなったか

記憶は定かじゃありませんが

私達が無事であることが

一番良かったと

喜んでくれていたのを

私は覚えています。

私達三姉妹のことを

宝物と言って大事に大事に育ててくれた両親です。

ピンチの時はいつも手を差し伸べてくれました。

だから私達三姉妹も

大きくなった今でも

こんなに大きくなったいまでも

両親も姉妹達もみんな宝物と思える存在です。

いま私達は沢山触れ合える機会を

ある意味、貰っています。

ラインでは毎日のように姉妹やファミリーの

グループラインで近況を報告したり

相談したり密に密に関わっています。

結婚して姓も変わり

家を出ていても

宝物と言ってくれる両親です。

困った時には駆けつける

そうしたいけど

出来ない時の心の持ちようも

学ばせてもらってる気持ちがします。

そうならないのには訳がある

そんな気がしてしまうのです。

輝く時の中で生きている私達

道なのだとしたらそのまま進むだけなのかな〜

そんなことを思います。

それが最良と信じて✨

本日も最後までお読みいただき

ありがとうございます😊

また必ず書きます❤️

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私のむかしのお話❤️2

皆様は車酔いって

ありますか?

私は乗り物酔いが激しく

そんなデリケートな人間ではないのに

何故か酔ってしまいます。

小さい頃からずっとそう。

父の車でどこかへいくときは

いつも酔ってしまい

体調は絶不調

お顔も絶不調でした。

椅子のところに頭を乗せ

座り込むようにするのが1番私が

落ち着く姿勢でした。

余計気持ち悪くなるのでは??

周りは気にしてくれますが

酔ってる私にとったらコレが1番楽な体勢です。


たかが車酔い

もう、酔うと

本当のところ車を降りたくなります。

小さい頃は、そんな気持ちに気付いて

母はよく一緒に父の車から降りてくれました。

父には少し先で待っていてもらうよう頼んで

どんな知らないところでも

車から降りて歩いてくれました。

少し歩いていると

頬にあたる風や水の音、鳥のさえずりなどに

心がリラックスしていき

ちょっとずつ気分が良くなっていきます。

先日2週間ほど実家に帰省しました。

今住んでいる両親の家から

総合病院が遠く

父が入院している時は

運転免許を持たない私と母は

バスで通う以外方法がありません。

そう思っていましたが

両親の周りには何故か

2人を助けようと思って動いてくれる方が

沢山いて、

皆様の優しさに触れることが何度もありました。

自家用車で私達を父の元に運ぶのが

自分の役目だと言ってくださる方もあり

ありがたいお申し出に行くときは

バスに乗ることはほとんどありませんでした。

しかし、勿論甘えてばかりもいられないので

帰りなどは

バスを二本乗り継ぎ家にたどり着くと

やはり私は酔ってしまいました。

酔うとダメ

全然ダメです。

今でも長距離はダメだと再認識

2時間横になるとようやく回復

そんな私の様子に母は

次の日の帰りは

バス一本分の長い道のりを

2人で歩こう。と

言ってくれました。

母と手を繋ぎ歩いて帰ったあの道は

きっと私も母も一生忘れることがなさそうに

思いました。

高齢の母、長い距離を歩くのは大変でしょうに

一緒だったら楽しいねなんて

いう私に心も体も合わせて

歩いてくれました。

そして運動も必要だから

お母さんもココを歩いて帰る日も

作ろうかな〜なんて言ってくれるのです。

幼い頃からずっと

私がどうしたら酔わないか

しんどくならず帰れるか

いつも考えてくれていた母

この日は一本分のバスの道のりは歩いて

その後の一本分のバスには乗り帰りました。

全然酔わず最寄りのバス停に到着したときは

めちゃくちゃ嬉しくて

母に沢山沢山感謝しました。

ウンウン良かった良かった。

と喜んでくれる母

母よりは若い私とは違い、クタクタだろうに

私が酔わなかったことを

1番喜んでくれる姿に

なんだか急に胸がいっぱいになりました。


翌日は晴れ、送迎してもらえる車もなく自転車で

いつも父の車で通っていた

ビュンと通り抜けていた道を

自転車で行きました。

母の後ろを走りながら

母がそこは危ないから

もっとこっち側をとか

色々私にも伝えてくれる様子に

ウンウンと聴きながら

自転車では危ないから来たらダメだ。と

言った父の言葉の意味がわかりました。

2人だから良かったけど

母1人なら本当私が心配になります。

昔の人なので

歩道や自転車が通るのは

白線の内側と

そんな細い白線の内側ある??と

目を疑うような白線の内側も

果敢に挑戦する母

綱渡りしてるように見えるその姿に

車さえ来てなければ

車道を悠々自転車で行く方が楽では??と

提案する私に

そんなことしたら間近で

大きな音のクラクション鳴らされて

びっくりするほど腰抜けることになる〜と

笑うのです。

そっかそっかー

高齢者に優しくする人もいるけど

高齢者をないがしろにする人もいる現実を

見せられる思いがしました。

信じられないけど

車を運転する人って

たしかに

そんなですもんね。

自分が加害者にならないことだけを

優先させている為

高齢者がそのクラクションの音に

どんなにビックリするかなんて

考えもしないことなんだろうな。と思いました。

母と歩いたことも母と自転車で走ったことも

私の大事な思い出です。

全部私が酔わないように

しんどくならないように。との思いだけで

母がくれたプレゼントの時でした。

ありがとうお母さん

懐かしい昔を思い出すキッカケにもなりました。

途中ブログの為の

写真を撮りたがる私の事を気遣って

ここもいいんじゃない??と

自転車を停めて

教えてくれる母

いい写真がたくさん撮れました。

ちょっとした坂でも

自転車を降りて押す母

私も降りて押しました。

途中の小川で

生臭いような香りを感じ

母はお魚の匂いがするすると言うので

嘘〜こんな所に??え?!いるの?!

小川を覗くとよーく見なきゃわからない

すばしっこい

お魚がいました。

母がお魚の匂いがするのよーとしきりに

言っていたのは本当でした。

お母さん凄っ‼️

もう病院が見えてきた頃

母は先に行って〜と私に言います。

もうそこだから、お父さんに近いところまで

きていることがわかる写真を撮って送っておくねー

と写真撮っている私

そこが下りの坂道だった為

一瞬で母が前に行くことに〜そのミラクルに

2人で大笑いしながら病院に

家を出てから45分でやっと

たどりつきました。

本日はココまで♡

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私のむかしのお話 1❤️

お父さんと

お母さんと

三姉妹と

犬と

猫と

亀と

金魚と

仲良しの家族がいました。

今日から私の小さい時のお話

小さい時は

イベントごとをとても大切にする

家で育ったため

7月というと笹の葉や短冊を

連想します。

私が小さい頃はモジャモジャの白い毛の

プードルの混じった雑種のようなチロという犬が

私たちの家には居ました。

チロの家と書いた犬小屋の側に

笹の葉があったと記憶しています。

でもこのチロという犬

私はまだ小さかったためかそれほど記憶がなく

白いモジャモジャということしか

覚えていないのですが

笹だけはしっかり記憶に残っています。

七夕の笹は

いつも大きいのがお家のガレージにありました。

今思うときっと父がどこからか

笹を貰ってきてくれていたのだと思いますが

魔法のようにいつも

そこにあるそんな感覚でした。

織姫さんと彦星さんが

1年に1度だけ会える日

それが七夕ですが

晴れていなきゃ

天の川が見えないから会えないんじゃないかと

小さいながらに可哀想に思い

ドキドキしたのを思い出します。

お願い事はいつも

家族が元気で仲良く居られますように

それ以外ないですが

他の人は何を書くのでしょうね。

私は毎回ソレです。

面白みはないかもしれませんが

これより大事なお願いごとなんて無くて

思いつきません。

だから大きくなった今でも

神社などで願い事をいう時もいつも、

まずどこどこの誰々かを神様に伝え、

日頃のお礼を言ってから

お願いをします。

神様には感謝しています。

叶えなきゃいけないお願いは

きっとたくさんたくさん届くでしょう中

私のお願いもちゃんと聞き届けてくださる神様です。

家族の健康

健康であり続けるのはかなり難しいことなのかも

知れませんね。

でも、

神様はその私の願いを長く聞き届けてくださいました。

我が家には今病気の時を家族の中に

迎えているものがありますが

その病気が強い強い家族の絆を

更に更に

深めてくれているのも事実です。

生きるというのは奥深いものですね。

知りたくない気持ちも知らなきゃいけないけど

その何倍も楽しい思いも嬉しい思いも

させてもらってる私たち

人生というものを改めて感じる時間を

いただいています。

昔見た映画では

ある日突然

神様になってしまって

摩訶不思議な万物を操ることが出来る

強大な力を手に入れる代わりに

神様〜と願う人の声も様々聞くことになってしまう

不思議な映画を見ました。

実際の神様はあれ以上に大変でお忙しいことと

思いますが

本当にそれはそれは耳に心に届く

人々の願いを聞き届ける作業は大変そうでした。

だから、私は大きいものから小さいものまで

さまざまな願いを叶える優先順位も

考えて叶えていく神様の存在を

その多忙さを想像出来るので

今のこの状況がお陰様であることも

ヒシヒシと感じます。

七夕の日は天の川で

私は織姫さんと彦星さんは

空の上では

毎年会えていると去年気づき思うようになりました。

そうなんです。

私達は下界から見ているので

雲があり雨が降り

今年も見えないわー会えないなんて

可愛そうだと思っていますが

空の上方には雨も雲も有りませんからね。

この事に気付くと七夕は悲しくない行事になりました。

きっと会えてますねー毎年毎年☆

神様は願いを聞き届けてくれている

私はそう思います。

勿論全て叶うわけでは有りませんが

その人にとって必要なように

神様は願いを聞き届けてくださいます。

きっと私の願いも

神様が思うように聞き届けてくれると思います。

さあ、今日も朝が来ました。

朝日を浴びて元気に生きていられる今日に

ありがとうの気持ちで過ごせたら。と

思います。

本日も最後までお読みいただき

誠にありがとうございます😊

更新頻度、奈良の実家にいるため

落ちていますが

少しずつでも更新していこうと思っています。

今後とも宜しくお願いします。

ブログ内容は思い出深い小さい頃を

続編で書いていこうと思います。

読者の皆様に楽しみにしてもらえたら

とても嬉しく励みになります♪

このシリーズでしばらく書きたくなりました。

ではまた続きはまた明日♡

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我が家の珍事件‼️ヤバかった3

家族っていいですね。

何も言わなくても助け合える

そんな間柄で居られる存在

結婚前の家族もそうですが

結婚後旦那さまと私が作った家族も

徐々にそんな風になってこられてる事

最近とても嬉しく感じさせて貰っています。

前回までの回想シーン

息子くんに必殺技を伝授して

なんとかギリギリバイト面接に

行くことができ

それどころかあちらの手違いで

息子くんは面接に遅れた風にもならず

むしろ1時間くらい

面接官である社員さんをお部屋で待つ形になり

お陰様で採用となりました。

やっと決まった息子くんのバイト

週4回働かせて貰っています。

まだまだ慣れるまではいかなくとも

少しずつ業務内容も掴めていくのかな??と

そんな風に思っています。

前回はココまででした

そして息子くんの本当のピンチのお話を

しましょうか☆


息子くん最大のピンチ

それは突然やってきました。

ある日の深夜

娘チャンが

慌てた様子で私たちの寝室へ来て

息子くんがトイレに閉じ込められた

と伝えに来てくれました。

たまたま携帯を持ったまま

トイレに入った息子くん

深夜に起きてることの多い

娘ちゃんにSOSを送ったようです。

どうやって??

家庭のトイレで

閉じ込められるなんて

夢にも思いませんよねー

息子くんはとてもびっくりしたと思います。

我が家はちなみにマンションなので

窓などもなく

本当に怖かったんだろうと思います。

こんな時は焦っても仕方がない

旦那さまに全てを委ねました。

まずは力尽くで

旦那さまはトイレの中の息子くんに大声で話しかけ

少し離れるように伝え

力尽くでやってみたようです。

駄目だなぁ〜

どうするんだろう。。と

私が思っていると

トイレの中の

息子くんに旦那さまが声をかけていました。

ちょっと考える。少し待つように。

そう伝えて

リビングでネット検索したりして

どうするべきか

考えていました。

こういう時は声をかけない

息子くんにはかわいそうだけど

旦那さまに全てを任せました。

そして

旦那様の中で息子くんを助けるための

スーパーコンピュータが

起動してるかのように私には感じました。

私よりずっと助け出すことを

真剣に考えて

私の大事な息子くんを助け出そうとしてくれる

旦那さまはいつもよりずっとずっと

頼りになる人に思えました。

あの手この手

当たり前ですが

あの手この手とネット検索しては

試し

何度も何度もあの手この手

試してくれるのです。

そんなに暑い日では無くても

換気扇を回していても

息子くんは中でどんなに心細かったかと思うと

もう寝ていられませんでした。

どうか助かりますように

小さなことではありますが

子供の姿が見えないのは

本当に心配です。

親になって21年

まだまだな私ですが

旦那さまのおかげで

何とか何とか2人の子供を育てていくことが

出来たのだと感じます。

いつもいつも旦那様に

尋ねながら育ててきた2人の子供

改めて普通に毎日が何事もなく

過ごせること

当たり前じゃないと感じました。

その間にも旦那さまはあの手この手

様々試しては

息子くん救出に取り組んでくれてます。

寝ているわけにはいかないけど

行ってもお邪魔になりそうなので

私は寝室でブログを書いて待ちました。

工具を持ち出し

鍵を取り外し

とってを取り外し

何とか息子くんを汗びっしょりになりながら

救出してくれました。

あーー良かった

数時間ぶりに会った息子くんの様子は

とても焦ったけど

待つしか仕方ない。

お姉ちゃんが起きている時間だったと思って

たまたま携帯を持っていたから良かった。

ととても安堵していました。

夜中だったため皆んな息子くんのことが

気になり起きてしまったため

お目々ぱっちり

変なことですが

助かったことが本当に嬉しくて

何だかある意味興奮状態で

その後もすぐには眠れませんでした。

ありがとうね本当に

どんなに大変な状況でも

諦めないで助けてくれて

ありがとう。

心からお礼を言いたい気持ちになりました。

改めて旦那さまのスゴさを知る機会になり

やはりこの人で良かったと思った瞬間でも

ありました。

普通にトイレに入っただけの息子くん

この今閉めた扉が開かなくなるなんて

想像もできなかっただろうと思います。

息子くんに尋ねると

怖かったけど

最後は扉ぶち抜いて

出るしかないかな〜と思った。と

言います。

やはりそこは男の子

力尽くでも

出る方法をずっと考えていた様子

そんな息子くんの様子にもホッとしました。

息子くんが小さい頃は

隠れるのが上手過ぎて

いつも私は小さな息子くんを見つけることができず

泣きながら探したことがありました。

だいたい息子くんは

見つけてもらえないことに疲れて

隠れ場所で眠ってしまっていて

私が見つける頃には熟睡しているパターンが

多かったのですが

親って大きい小さい関係なく

子供の姿が見えなくなるのは

こんなに不安なものと久しぶりに感じました。

今では笑い話ですが

きっとこのトイレに閉じ込められたエピソードも

我が家の笑い話になると思います。

そんなこともあんなこともあったねーと

振り返って笑える間柄の家族という大切なもの

私にもしっかり作ることが

出来ていることとても嬉しく思いました。

旦那さまの諦めない

問題解決能力の高さは

改めて素晴らしいなぁと

みていて惚れ惚れしました。

途中、うまくいかないことに

イライラする場面もあったようですが

そんな時は何も言わずにソーっとしておくのが

1番大切です。

私には何も出来ないのだから

いいアイデアが浮かぶ環境作りが私の使命

そんな時は荒立てず静かに待つのみ

と私はそんな時はいつもそれだけに集中〜します。

少し経ったら、

旦那様落ち着きを取り戻し動き始めた

グッドアイデアが浮かんだ様子

器用ではないから

スマートにことを進めることは

出来なくても

不器用でも家族を必死に助けるパパの姿は

子供達の心に

きっと何か残しただろうなぁと

思いました。

なかなか日常生活を送る普通の毎日の中には

守られている自分を感じる機会は

無いのが普通ですが

いざという時

助けようとしてくれるパパの存在は

きっと2人とも強く印象に残ったと思います。

どんなにダメでも

あの手この手

何手でも繰り出すパパの姿は

私から見ても

とてもカッコよく見えました。

ネットというアイデアの宝庫から

使えそうな情報をチョイス出来る

すすんだ世の中にも感謝したいと思います。

本日も最後までお読みいただき誠に

ありがとうございます😊

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