RURU1234’s blog

私のこと家族のこと日々のお料理書き綴りたいと思います。

前世があったならきっと一緒だったね♡

わたしの人生には

たくさんの

主要人物との出会いと別れが含まれています。

もし私の人生を1つの長編ドラマとするなら

あーあの人たちねーーと

見る人にも分かってもらえるでしょうが

残念ながら言葉で公開し始めたのは

数日前のため

誰もご存知ないと思います。

ですが

前々から1つ思っていたことがあります。

それは、

私の人生の主役は私ということ

要するにそういうことです。

もし私の人生の全て放送されているとすると

視聴者を飽きさせない暮らしを出来ているか

愛される主人公か

心も体も大丈夫か??ということです。

主人公とか実際の生活では

なかなかハードルが高く、

なれない人の方が多いですが

自分の人生においてだけは

なりたいと思ったその日になれるのが

自分の人生ドラマの主人公です。

ドラマと言えば人物相関図

春の新ドラマの紹介番組などで

必ずでてくる

人物相関図

見やすくてわかりやすくて

TVを作る人たちの努力を感じます。

TV局が頭脳明晰な方を何故採用するのかも

よくわかります。

伝えるを1番の仕事にしてる職だから

簡潔明瞭に言葉を紡げることが

最重要なんだろうと感じます。

私の人生の最重要人物

それは彼女だと思います。

彼女との出会いは

娘ちゃんがまだ小さい時でした。

マクドナルドの席で娘ちゃんに

ポテトを食べさせていた時

もっと欲しいとぐずる娘をあやしていると

お隣から

もし良かったら食べて〜私食べられないので。

まさかのポテトが出現

喜ぶ娘ちゃん

えええ?!こんなことある??と内心

驚きながら

すみません。。いいんですか?!と

恐る恐る受け取る私

私とは全然違うド派手なギャル風の彼女

ベビーカーには赤ちゃんの姿

しっかりママをしているけど

なんだか洒落てる〜

普通には絶対出会わないタイプでした。

てか、機会がなければ

話しかけられないwww

そんなタイプの人でした。

お話し上手な彼女は臆することなく

私に色々聞いてきます。

答えるうち、ご近所さんだと判明

連絡先を交換しまた会おうね。と

言われるまま流れに身をまかせる私


何故だか退職する前住んでいた路線にまた住む不思議

旦那様と結婚してから

会社の借り上げマンションがあるという

理由でこの街に来た私

実はこの街に来てから

親しい人も知り合いも

作ろうとしても

警戒心が強すぎる私

なかなか出来ませんでした。

退職前住んでいた同じ路線な為

緊張が解けないのも1つあり

でも、彼女との出会いで私の人生は変わり始めます。

最初は理解できなかった

TVをつけると

ギャルママvs 芸能人 の番組

何気なくつけたTVに

えええ?!えええ?!

理路整然と話す彼女の姿

旦那様に報告する私

ヤバイんだけど。。この前友達になった子

TVに映ってるーーホラこの前連絡先交換した子。。

頭良いんだなぁーー彼女

服装は派手だけど。。。よく芸能人にも

普通に話せるなぁーーすご〜い!!

そんなことを思っていました。


次にあった時には

彼女の優しさが理解できない範疇で

わたしには理解できませんでした。

ベビーカーで赤ちゃん連れなのに

友達が旅行している間毎日

届く新聞やら郵便物をそのままに

していては留守だと思われると

空き巣などの被害にあうことも

考えられるから

毎日それを取りに行ってるとのこと

他人に優しすぎるのは良いけど

とても大変そうな事を引き受ける人

赤ちゃん連れて行くだけで大変よー

どうしてかわからないけどまた会いたくなる彼女

少しずつあう回数も増え

友達になりました。

子供も含めて会うママ友

次第に

毎日のように会うように

楽しくてあっという間の時間

久しぶりに友達ができた喜び

カラオケにも一緒に行きました。

ファミレスも一緒に行きました。

子供にとっては幼馴染が出来ました。

そんなある日彼女に異変

少し会わないうちに

彼女は入院したり手術したり

大変な目に遭っていました。

ストレスが原因で突然

持病もあるのに

さらに病気が増え

首には傷

痛々しくて直視できませんでした。

でも彼女はいたって普通

わたしも普通に接しました。

一度だけ聞いたことがあります。

助けられることあったら言ってね。

どうしていて欲しいとかあったらそれも

言ってね。

その時彼女は普通にしていて欲しい。

そう言いました。

わたしは今まで入院も手術もしたことがありません

でも世の中には本当に多くの方が

たくさんの痛みとともに生きてます。

わたしがしたのは出産の時の

傷を縫うことくらいです。

それだって痛がりのわたしは

大騒動

抜糸が怖くて2番目の時は溶ける糸で

縫うなら溶ける糸で縫ってくださいと。

なんども言ったほどww

丈夫な身体をくれた

両親に感謝です。

当時彼女には旦那様がいました。

出会った時はお仕事していました。

好き嫌いの多い彼に色々な種類の

おかずを作る彼女

服装は派手だけど、

わたしよりずっと家事育児を頑張っていて

学ぶことばかりでした。

やりたいと思ったらスイッチが入るけど

思わないとずっとスイッチ入らない私

カレーならサラダで

我が家は終わりだけど

彼女は違いました。

煮物もあるし、副菜も豊富に準備

パスタなら一種類でいいと思うけど

彼女は違いました。

三種類とサラダとさっぱりしたものも

会うたび刺激を受ける私がそこにはいました。

彼女の旦那様が仕事辞めちゃった

そんなことある??

がありました。

その時は彼女が働いて

旦那様が家事をしていました。

サバサバした彼女の性格上

それに甘んじで家事を天職のようにこなす

旦那様に耐えられなかった様子

私にはわからないけど

大変だということだけは

わかりました。

話を聞くだけでも心が楽になるなら

という気持ちで来る日も来る日も話を聞いていました。

そんな時我が家も同じ状況に

え?!マジですか??

ある日突然会社を辞めてきたんです。

もちろん不安でした。

彼女の気持ちが少し実感できました。

11歳も年上だし私にはわからないことばかり

退職金は全部電化製品を買い込み使う事に

旦那様がアレもコレも買ってくれます。

ゆっくりしてもらおう

1週間経過 まぁゆっくりしてもらおう

そろそろ、いつまでゆっくりするんだろ??

寝てるかゲームしてるか🎮大丈夫かしら??

そろそろ一ヶ月

黙っていられなくなります。

職探ししてもらおう。

あの手この手でやる気を出してもらおうと

するけど空回り

言い合いになったり反省したり

そんな頃
前の会社の時一緒に仕事したことある人から
うちに来ないかとお誘い

ありがたいね。

すぐ面接、試験、採用

やはり頭脳明晰は誰がみてもわかる。

適性検査も抜群の成績だったよう


人生のポイントがシンクロ

タイミングは決して同じではないけど

彼女のすぐ後私も経験

彼女のお父様が癌になった時も

私達は喧嘩中でした。

喧嘩どころではない

親友の大ピンチ

まずわかったことが良かった事

大丈夫 大丈夫と

なだめ、ましたが

その後すぐ

私の父が癌になる事に

何故かシンクロする私たちのポイント

きっと一緒なら頑張れるでしょう?!と

配置されたようだとそう感じるのです。

その後も数々子供のことなど

シンクロを重ねています。

こんな事??と思うような経験が

役に立ったりー

人生って本当面白い🤤

子供の性格も

2人とも3歳違いの

2人の子供を持ちますが

上は天真爛漫

凧なら飛んでいきそうですが

自由な発想で新しいを切り拓く

みていて楽しいタイプ

下は

どちらも読書命

物静かだけど語彙が豊富で

自分ルールを守っている

こだわりが強いところも似ています。


私達は姉妹だったのか

潜在意識の中に

前世の記憶ってあるのかな??

私達はいつも人生のポイント

ポイントでの通過点がシンクロします。

何故なのか

毎回です。

良いことも悪いことも

だからいつも2人一緒に同じ気持ちで

いられます。

私の母が乳がん両側手術前にも

彼女は優しすぎる優しさを

母にも私も分けてくれました。

母には可愛い肌触りの優しい

パジャマと高級タオルを

私には長く実家に帰れるようにするための

知恵を与えてくれました。

交渉術というのか

私苦手分野なので

とても助かりました。


たくさん支えてもらいました。

人生の大きな転機である子供の受験なども

そうでした。

私の息子は

生まれた時に足位臍帯脱出という

突発的に難しい逆子状態になり

母子ともにいきなり危険な状況に

見舞われ

その時の出産の影響で

脳に障害が残ると言われていました。

だから私は息子には多くを望まず

そこに居てくれるそれだけで良いと

考え、こちらの話をどの程度理解しているか

そこに注視していました。

文字の読み書きが恐ろしく苦手だけど

計算は頭の中で抜群に出来るため

いつも途中の式は無いけど

答えを導く力はあるそれが息子です。

中学の時、普通科を希望する息子くんに担任から

突然、『行ける高校がありません。』

と言われビックリ⁉️

うなだれて帰ったのを思い出します。

そして事の経緯を彼女に説明しながら泣きました。

そんな事になってるなんて

思いもしなくて、じゃあどうしたら良いのか

目の前が真っ暗で前がどちらかもわからない。

そんな時も彼女は冷静で

普通科にこだわらなくても

子供の得意を広げてあげる方が大切

今から本屋さんに行くよーー本屋に着くと彼女は

テキパキと決めてくれます。

まず息子くんにはコレね

ペラッペラのドリルなら出来そうだし

出来る気がしながら取り組める

ルルちゃんにはコレねー

電話帳より3倍分厚い高校受験案内という冊子でした。

ここに必要な内申点など1校1校掲載されてるから

我が子の点数と比べて、行けるところを調べてね。

スマホで検索も忘れずねー

ヤル事があると人間余計なことは考えないものと

この時初めて実感しました。

綺麗な校舎と息子くんに合った場所

彼女のおかげで来る日も来る日も

調べました。仕事から帰宅してからなので

遅い時間になりましたが、見方もコツがつかめ

わかり始めると楽しいもので

家からのアクセスが良いか

校舎が綺麗か、イジメなどはどうか?

息子くんの成績でもいけるのか??等です。

そしてとても良いところを見つけました。

面接で自己アピールする時間が長く

教科ごとの筆記試験のかわりに

数学の図形の試験があるというものでした。

ココだ!!直感でこちらの受験を決めました。

学校の先生からは

不登校の子が多く行くような

通信制高校などを勧められましたが

私は決めていた高校を受験することを

お願いしました。

受験のスタイルが独特なため

合否の予想が立ちにくいらしく

少し困惑気味でしたが

まずは駄目元で特別枠の推薦入試から

受けました。

図形を作る練習だけは
家でもさせ、ぶっつけ本番と本人が感じないよう
過ごしました。

見事に合格

全体の7割落ちると言われている

特別推薦で息子は見事合格しました。

親子で大喜び

学校では先生方にもビックリされたようです。

受かる予定として見られていなかった様子

こうして私はまた彼女に助けられ

人生のピンチポイントを無事通過しました。

こちらでは成功体験を多く重ねた息子くん

高校ではエリートな扱いを受けた息子くん

すっかり賢い子風になりました。

日々の勉強をしっかりやって

指定校推薦を狙おう

目標は高くと

入学当初から担任に話をし、

必要な情報をいただけるようお願いしました。

大学進学を希望しましたが

具体的には決めずとにかく

中学の時の苦い体験を活かして日々の積み重ねを

頑張るよう伝えました。

そうしていよいよ大学受験に向けて大切な

最後の試験と言う数日前になり事件勃発

学校から電話

息子くんにはお伝えしたのですが

このままでは志望校を指定校で取るための点数が足りません。

4.8の評定平均が必要です。

は???

4.8ってほぼ5じゃん‼️

そんなの急に言われて取れます??

てか、それ、いつわかったの??頭はパニックです。

言えない言葉が次から次へと出ては消えます。

何か他に方法はないのですか?と問う私に

1つあるんですが。。

もう1つ4.5でなんとかなるんですが

言わない方がいいかなーと思って。。

いえ、本人の希望の光になるので

それ本人に伝えてください。

と言う私。

先生には申し訳ないけど

届くわけないじゃんと言う目標より

それならイケるの方がウチの子はやる気出そうだったんです。

これでダメならどうしよう??

すぐ頭をもたげる不安な気持ち

でも、これを乗り切ることが出来ないようなら

あんな難関大学に受かるわけがない。

そうだー!!

これを乗り切れたら、息子くん本人の自信にもつながる

良いことばかり。そうじゃん♪良いことばかり。

そんな風に自分を奮い立たせ

息子くんに最大限のエールを送りました。

私は応援団長

そして息子くん評定平均見事に4.7で突破

評定平均とは5段階評価を足して教科数で割ったものです。

本当に生まれた時もミラクルだけど

節目節目でミラクルパワーを出す不思議な子です。

そして見事に難関大学の指定校推薦枠をいただき

面接を経て

無事合格

先日の入学式と繋がっていくのでした。

私1人では絶対ここまでたどり着けなかった

彼女のお陰で辿り着けた今いる場所

私はいつも思います。

彼女のためなら何でもしたい。

助けが欲しい時はいつでも駆けつけたい。

できることは何でも私を頼りにして欲しい。

前世があったなら

姉妹、親子、何かとても密接に繋がっていた

私たちだと思います。

彼女のお母さんは私に似ていて、

私の母は彼女に似ています。

だから、三姉妹会議の前にも

あまりお洋服を買わない私を気遣って

誕生日プレゼント🎁と言ってお洋服とイヤリングを

プレゼントしてくれました。

三姉妹会議の日はそのお洋服とイヤリングで

勿論行きました。彼女の優しさに包まれて

とても軽やかに歩きました。

いつまでそばに居られるかわからないけど

ずっと居たいと思う存在です。

信じられないほど優しくて

心遣いの素晴らしい彼女

私の今の職場も彼女の紹介です。

いつでも辞めて良いからねーと彼女はいつも

言ってくれますが辞めるわけないじゃん♪

彼女がくれた私の居場所❤️

辛い時も嬉しい時もありますが

今度は逃げないで楽園にしたいのです♡

ちなみに彼女は雨を避けれるタイプの人です。

私は雨に迎えられ雨と共に動くタイプのひとです。

性格も趣味も何もかも違うんです。

共通点はとても大切にされて育ったこと

だから時に社会の冷たさにめげそうになる時も

2人で知恵を出し合って作戦会議して

乗り切れるように

神様が私の近くに配置してくれた彼女

彼女の近くに配置してくれた私

何だと思ってます。

神さまありがとう
私たち頑張って生きます☆

これからもずっとずっと仲良く

楽しく

どんな時も楽しんで進んでいきたいと

思います。

彼女の美しさにいつも見惚れてしまう私だけど

私も最近アンチエイジング取り組み始めました。

やはり、女性は綺麗じゃないと☆

それも彼女から教えてもらってます♪

彼女は言います。

待兆をやってるご両親の

いつかこの仕事をすることによって

私が役に立つ日がきっと来る。そう思って

今の職場を私に紹介してくれたそうです。


彼女を産んでくれた親子さんに感謝して

出会えた奇跡に感謝して

進んでいきます。


今日も最後までお読みいただき誠にありがとうございます😊
読者になってくれた方ありがとうございます。
後ほど私も読者になりに行きます。
閉店までバタつき、すぐ対応できず申し訳ありません。
今しばらくお待ち下ると幸いです。