RURU1234’s blog

私のこと家族のこと日々のお料理書き綴りたいと思います。

歌う着せ替えプログラマー

旦那様の結婚前の希望

1. 子供は1姫2太郎


今思えば大変な注文だった気がしますが
恋していた私には何でもありでした



11歳年上の旦那様との結婚

兎にも角にも優しくて

私は幸せでした。

結婚式の高揚感も有るけど

諸々困ったことがあっても

2人で力を合わせていけば

どんなことも乗り越えられるような

そんなパワーが自然と湧きました。

結婚前からこの人の子供が欲しいと

遺伝子を残したいそんな思いでいましたが

この結婚を後押ししてくれたのは

まさにこの時、お腹にいた娘チャンでした。

私達は結婚式とお披露目お食事会をして

私が妊婦ということもあり体調を考慮して

新婚旅行もいきませんでした。

でも私はとても幸せでした。

私と旦那様の大事な大事な1人娘

娘チャンは旦那様と結婚したその年に生まれました。

俗に言う 出来ちゃった婚?!と言われそうですが

私としては キッカケを与えてくれた、

✨後押し抜群授かり婚✨だと思い

神様に感謝しています。

可愛い💕可愛い💕我が家の第一子の誕生です。


結婚前に授かった命

結婚も考えていたので、嬉しい反面

授かったのかもとわかった時は

とても複雑でした。

実家暮らしだった為、次第に悪くなる体調

何も知らない両親はとても心配しながらも

そんなこと考えもしない

全幅の信頼を私に寄せてくれてるのがわかり

とてもつらかったです。

あまりにも心配してくれる様子に

黙ってるなんて出来なくなり打ち明けました。

すると少し怒りながらも

泣きながら、大病かと思い我が子を無くすのでは??

とずっと思ってた。

それならすぐに病院に行くより、薬局でアレを

買おう!!と連れ出され

デパートの薬局で妊娠検査薬を調達

初めて自分の目で存在を確認しました。

その後、母が女医さんのやってる産婦人科

探してくれ、父運転の車で母と受診し、

正式に妊娠がわかりました。

その後、旦那様になる彼と両親の話し合いの場が

持たれ、彼の事を我が子のように思い、

私を自由にさせてくれていた母には

今回のことはショックで

母はしばらく無言で抗議していたようですが

お陰様で皆が

命を大事にしたいと考え、

私達の結婚を認めてくれることになりました。

この時結婚前にご挨拶したことある

旦那様になる彼のお母様は

おめでとう🎉体大切にね♪

ととても喜んで下さったことを電話で彼から聞きました。

男親と女親とではやはり感覚の違いこそあれ

皆が祝福してくれたことをとても嬉しく感じました。

そうして生まれた一姫

私の21年間の人生を1つのブログにまとめないで😠

と言う娘チャン 笑笑

確かに。。これは失礼しました〜と

少し端折りますね。

順調に大きくなってきた娘チャンですが

けして順調な時ばかりではなく

親として進化を試される時も多くありました。


高校生の時


頭脳明晰な旦那様の遺伝子をもらった

娘チャンでしたが

私立は全く視野に入れていない家庭の事情で

滑り止め受けるは受けるけど

実質都立一本コースでの受験でした。

なので、実力より少し余裕のあるところを

余裕を持って合格し入学

中学の頃この辺りでは少し有名な吹奏楽部に所属し

毎日、素晴らしい指導を受けていた為

高校でも吹奏楽部に入りましたが

先輩よりうまく吹けた為

ちょっとしたイジメにあったようです。

楽譜を貰えないとか変更事項を教えてもらえない。とか

些細なことだけど

思春期の彼女にはその理不尽さが

耐えられず度重なる理不尽にとうとう

辞めてしまいました。

するとクラスにいた吹奏楽部の子達からの

嫌がらせのようなものも始まり

教室にも居場所がなくなって行った様子

娘チャンは次第に学校が楽しくなくなっていきました。

私宛にLINEで助けを求める文章が娘チャンから

送られてきます。

親として助けてあげたいけど

いつまでも手を貸ししていくのは

この子の為に良くないだろうと手を出さないよう

こちらも踏ん張るだけで必死です。

学校が怖いと

校門のすぐ側で倒れてしまい、先輩達に助けられたり

学校の門に入ったけど、しんどくなり今トイレにいる。

とLINEが入り、担任の先生に迎えに行ってもらったり

朝学校に行ったからと安心していると

しばらく来ていません。。と言われ、

アテもなく財布と携帯を持って家を飛び出し

泣きながら私が思い当たる所を探しに行ったり

どんな思いで娘チャンが今いるかと思うだけで

本当に思い出しても、苦しくなるほど

娘ちゃんがかわいそうでした。

でも、引きこもり経験のある私

ここで不登校にさせては

娘ちゃんの人生を無駄にしてしまうと

絶対休ませることだけは許しませんでした。

何があってもやらないといけない

そういうことは生きてると幾らでもあります。

逃げて特する感覚だけは身につけて欲しくないと

この時の私は強く思っていました。

学年末になり授業の欠席が多い為

進級の単位が危ないと学校に呼び出されたり

その年は散々でしたが

私も両親にいつでも守ってもらった記憶があるので

呼び出された時、子供の諸々のお詫びとともに

この子はこの高校をギリギリで入ったわけでは

ありませんので環境が変わればまた出来ると私は

信じてます。と担任と学年主任の前で言っておきました。

お陰様で何とか進級した娘チャン

学年が上がりしばらくしたら

彼氏ができました。

とてもイケメンで優しくて

若いってすばらしいなぁと

それだけで輝くように元気になる娘チャンに

私も嬉しくなりました。

彼氏ができると

扱いが変わるのが高校生笑笑

守ってくれる存在って本当ありがたいと

この時の彼氏には今でも感謝しています。

別の心配もでてきますが

そこは、まぁ本人に任せて

主人のいう門限だけは守ってもらいました。


進路

いろいろなことがありながらも

音楽系の大学に

進路を決めた娘チャン

将来は歌手になりたいとずっと言ってるので

私たち親もいつも心で応援していました。

夢があるって希望を前向きに語れる娘チャンの姿を

嬉しく思いました。


普通とは違っていい

娘ちゃんの大学入学式

普通はリクルートスーツを用意すると思うのですが

私はそれを勧めませんでした。

だって歌手になるんだもん

就職活動なんて想像もつかない

そんな思いでした。

色は流石に黒ですが

下のスカートはフリルのついた可愛いものにしました。

普段着にも使えるように


娘チャン楽しそう

大好きな歌を根本から習う

毎日はとても楽しそうでした。

同時にカラオケ店でのバイトも始め

社会の厳しさも学びながらの日々

学校では先生に褒められた

最初からこんなに歌えてと、

みんなにビックリ⁉️された

そんな話が娘チャンの口から多くでていました。

今思えばこの手のお話が出るときは

何かあった時だったのかもしれません。


娘チャンの異変に気付いたのはあの彼女

そんな時、私の人生の最重要人物である

彼女から

ちょっと話があるんだけど

今からこれる??とファミレスへの呼び出し

ん?!なんの話だろう??と思う私に

『ザックリと話すね。

ビックリしないで聞いてね。

今、御宅の娘チャンとファミレスに居ます。』

えっ?!大学に行くと言って家を出たけど

違うの??

頭はパニック〜〜

心でそういう事なの?!え?!なに?!この感じ??

そんな感じでしたが

とにかく気持ちを落ち着かせ、準備して

ファミレスへ向かいました。

おし黙る娘チャンの前に彼女

娘ちゃんの横に私

座っても状況つかめない私

彼女にお礼を言いながら話を聞くと

たまたま娘チャンのSNSを見て

小さい頃から娘ちゃんを知る彼女だから

気付いてコレは大変だと知らせてくれた様子。

娘ちゃんが口を開きます。

『 実はだいぶ前から大学行ってません。

思ってたのと違うの。

このまま行ってても仕方ないと思って。。辞めたいと

思ったけど

パパとママは大卒にこだわるから言い出せなかった』

そんな内容だったと記憶しています。

パパとママが大卒にこだわるのは

その方がお給料も良いし

パパとママはその部分で多少の苦労はあったからね。

そう言っても

やはり経験値の低い娘チャンには伝わりません。


受け入れにくいけどこれが現実

この時はっきりしたのは

娘チャンが大学を辞めたい事

そして私がいつからか娘チャンに騙されていた事

そしてそれに気付いたのが大親友だということ

見ているつもりで見れてないことに

ショックでしたが

この状況になった場合の良かったを

何となく前々から考えていた為

私のリカバリーは早く頭の中は次の事を思考

良かった点は出費をこれ以上増やさないで

いられること。

奨学金制度を使って進学していたため

本人の将来的な出費を最小限に抑えられたことなど。

娘チャン大学中退

中退後

カラオケ店でのバイトは続けていましたが

掛け持ちでコンビニなども始めた娘チャン

ですがどれも長く続けられなくて

落ち込むようになる本人

決められた時間に場所に行くのが苦手なようでした。

そんなこと??できて普通。と

思われる方も多いかもしれませんが

出来ない人にはわからない難しさが

そこにはあるそうです。


怠惰ではなく性質

最近私は、私の知らない世界を

娘チャンが教えてくれることに

多く気づきます。

普通と思ってることは

普通ではなく

常識と思ってることは覆され、

我々の非常識が常識になる日も来ること

アパレル勤務

次に娘チャンが興味を持ったのは

大好きなお洋服ブランドでの

アパレル店員さん

マネキンのようなスタイルの娘チャンは

歩くマネキンとしてお店で重宝がられた様子

しかし、たくさん働いても

バイト料の一部は新作お洋服購入に消え

お店からその商品がなくなると

着用も出来なくなりまた購入するという現実と

ハードなシフトに次第に疲弊していきました。

全国で売り上げトップ店だった為

売り子のモチベーションも常に高い状態を

求められまたついていけなくなった様子

この時も私は正確に辞めた時期を知りません。

行ったふりして行かなかった辞めていた時期もある様子


何度もあるこんなこと

こうなるとなにを信じて

何を伝えれば良いのかも

こちらもわからなくなります。

心と身体がとても疲れながらも

目を離せないそんな気持ちでした。

私は嘘はイケナイ

そう教えられて育った為ウソが苦手です。

だから、こう何度も誤魔化されると

正直私の信じるには私なりの価値があって

それをあげたくなくなるのです。


無意味な感情

でも思い合ってるのに

思い合えないって

何の生産性もなくて

馬鹿みたいだなぁって

毎日思ってました。

悲しいけど😢許せなくて

モヤモヤするばかり


無気力満開な娘チャン

アパレルを辞めてからしばらくは

行ったふりしてましたが

辞めたと思っていた私達は

働き先を探してるとばかり

思ってました。

でも実際は漫画喫茶やカラオケで

暇を潰していた様子

親の心配なんて 屁でもないのだと

教えてもらいました。

そしてその後は来る日も来る日も

だらだら〜〜

まぁ、引きこもり経験者の私の子

仕方ないと諦めました。


親の望みとは別だけど立ち上がる日は来る

そんな時娘チャンが

動き始めた。

Twitterで知り合った人に

定時に行けない動けないそんな自分を

情けなく感じ相談したら

世の中には定時じゃなくても良い仕事もあると

プログラマーインターンを募集してることを

教えてもらい、良かったら来る??

と紹介してもらえることに

インターンのときはお給料も安いけど

経験を積めること、チームで取り組むお仕事の

楽しさなどを学びイキイキし始めました。

歌うこともやりながら続けられる仕事

という意味で

ゆくゆくはリモートでのお仕事を希望して

そこで1からプログラミングを学び

プログラミング専用のTwitterアカウントも運営して

今はインターンでお世話になった会社を巣立ち、

1人で企業様のお仕事を出来るように

少しずつなってきたようです。

旦那様もシステムを作る側の仕事をしている為

2人の会話は私には暗号文みたいに聞こえますが

イキイキと話す娘チャンの姿に

本当に良かったなぁーと思うのです。

親の支配がきつすぎると子供ははみ出します

私達は良かれと思って

娘チャンを厳しめに育てました。

食事のマナー

会話のマナー

行動のマナー

など、女の子だし

ゆくゆくはお嫁に行くだろうし

恥をかかないように

でも実際は私達がそれを望んだだけで

娘チャンの望みは別でした。


娘チャンは
やりたいことだけやって生きていく

娘チャンは

これからもやりたいことだけを

やって生きていくと思います。

でも、それで良いと

私も思えるようになりました。

自分で新しい道を切り拓いていく我が子を

惚れ惚れ見てます。

あの時お腹に宿った命が

こんなに自由に人生を

自分らしく歩んでいる今に

感謝したいと思います。

命って素晴らしいなぁと

思います。

娘チャンは生きるって大変だと

日々感じてるようですが

夢に向かってただいま爆進中‼️

私にはそんな風に見えます。

私の21年間の人生を簡単にブログにまとめないで〜

という娘ちゃん

しっかり自分の意見を言えるようになってる事も

ママとしては嬉しかったです。

私達が両親のお店待兆を応援する理由

コレをどうしたらTwitterの方に

お知らせできるかな??と

私が相談したのも娘ちゃんです。

背負うた子に教えられ♪

正に今その状態です。

若いパワーに色んなことを教えてもらって

何とか遠隔応援📣頑張れました。

昨年の成人式


この時来ていた振袖は

私が20数年前旦那様の元に嫁ぐ時

お披露目お食事会で着ていたものです。

あの時お腹にいた小さな命が

成人してまたこの振袖に袖を通してくれた

そう思うだけで胸がいっぱいになり

とても感慨深かったのを思い出します。


歌う着せ替えプログラマー

現在は歌い手として活動

ライブもやったりしております。

Twitterアカウントもありますが

本人の希望で載せません。

バズったらね?!笑笑と

おどけて見せてましたが

いつか自力で世に出たいと

思ってるのかなーー

ニコニコ超会議のステージで

歌ったこともあります。

いつか皆様の心に響く歌い手になってくれれば

と娘のママRURUも願っております。

待兆

昨日お越しいただいた

Twitterからの@ponkotsu_120

いさぶろ荘様ご家族の皆さんより

メッセージ付きお土産を頂いたそうで

両親その温かなサプライズに大変喜んでおりました。

疲れもぶっ飛んだそうです☆

いさぶろ荘様暖かな心遣い本当にご馳走様でした。

でも皆様どうぞお構いなく〜来店いただけるだけで

待兆はとても嬉しいので😊

体はヘロヘロだけど心は温か

連日の繁盛に

77歳と70歳の両親の体はヘロヘロですが

心はポカポカだそうです。

皆々様に愛されてることひしひしと感じながら

幕を閉じれそうな様子

娘たち一同も皆様へ感謝しかありません。


閉店1週間より

皆様に参加して頂き

桜型の紙に一言メッセージを残していただけたら

とただいま準備中です。

バタバタしておりますが

皆様のご来店心よりお待ちしております。

待兆 バス停 永井町

奈良の郡山イオンすぐそば

奈良市北之庄町17-4 0742-62-2939

火曜定休

本日は待兆オーナーとママさんにとっても

初孫でありました

我が娘チャンの人生の一部をブログにさせて

もらいました。

親目線かなり偏ってるかもしれませんが

悩むどなたかのお役に立てれば

今日も描いてよかったと思える気がします。

最後までお読み頂き誠にありがとうございます😊

皆様の愛に支えられ今日もかけました♪