RURU1234’s blog

私のこと家族のこと日々のお料理書き綴りたいと思います。

欲しい言葉を一番くれる人

旦那様の希望
2. 自分と同じ辰年生まれの男の子

イヤイヤ無理でしょ?!

に、更におまけがつきました。

2000年ベイビーが良い❤️

まあ勝手な事言うわけです。

でも私も愛があるから結婚したわけで

じゃあそうなるように祈ろうね。。

そうして見事に授かった命

いつ産まれてくるかについてはわからないけど

おおよそ2000年に照準は定まってる様子

1人目の妊娠はつわりがひどく安定期には逆子に〜

何度もクルクル逆子体操も頑張りましたが

当日ようやく定位置に

そんな経験もあったので今回は順調で

良かった良かったと思っていました。

しかし、予定日を過ぎても産まれてこない様子

とても待ち遠しくて早く会いたいだけなのに

待てど暮らせどその時は来ません。

里帰り出産を希望していたため

旦那様とは遠距離で、電話だけが近況を知らせる

手段でした。

まだ産まれてこないの??

うん、どーしちゃったんだろうね??

まぁそのうち産まれるよねー出すしか無いからねw

なんて話をしておやすみーと電話を切りました。

ちょうど電話を切って少しした時です。

いつもの胎動とは全く違う下の方を蹴られるような

強い強い衝撃があり、

なんか変だなぁ??と思い

母に痛い気がする。。と

言いました。

痛みに鈍感なのかどれがそうなのか

1人目の時も行って返されたこともあるため

恐る恐る病院に行きました。


産婦人科到着

また違う。。って言われちゃったら恥ずかしいなぁ

そんなことを思っていました。

普通に産む過程を辿っているつもりでしたが

ちょっといきんでご覧?!と看護師さんにいわれ

やってみても違うといわれます。

なんだか違う様子

様子を見に来た助産師資格を持った女性が

中の様子を触診のような形で触ると

いきなり破水しました。

そして慌てて先生を呼びに行き

緊急な感じで分娩台へ歩いて行きました。

何か前と違うけど聞く暇もなく

分娩台に横になると

先生が慌てた様子で

お母さん、赤ちゃん呼吸が苦しい状況だから

今から処置します。

赤ちゃんも頑張ってるからお母さんも頑張ってねー

1人目の出産の痛さも覚えてるけど何故かそれを超えて

痛い感じ、私の心でもう無理だよーと

限界を超えた痛みに非常ベルが鳴る中

『ちょっと痛いよーー』とお医者様から言われた瞬間

グサッと麻酔無しで切られ

ギャーーーーーーーと突っ伏して騒ぐ私

次目が覚めたときには

何かが温かく下から流れる感覚と体全体が

怖くないよ大丈夫という気持ちに包まれてるようでした。

銀色のカウンターのようなところに

グッタリとした赤ちゃんが蘇生されてるのか

そんな様子が目に飛び込んできました。

え?!ナニコレ?!

普通と違う

ここの病院は1人目の時もお世話になったけど

産まれたら、

ハッピーバースデーのオルゴール鳴らしてくれる

え?!それも無し

そして私どのくらい気を失ってたの??

時間の感覚がなくてどれくらい赤ちゃんが

あの状況なのか一気に不安になりました。

蘇生する機械が動かなかったのか

足で蹴飛ばして動かすお医者様の焦りように

とても不安でしたが赤ちゃんが息をするよう祈るだけ

私の処置は後回しで分娩台で出来ることはない為

私はただ見守るだけでした。

あとでわかったことですが

この先生は

私のような事例を研究したり同期の仲間から

実際の助け方などをたまたま聞いて

迅速に対応していただいたお陰で

助かりましたが

実は母子共に危険な出産だった様子

足位臍帯脱出という稀な状態で

わかりやすくいうと片足と臍帯が出てしまった状態で

酸素が脳に行き渡らない時間が出来てしまうため

その時間をいかに1分1秒縮めることが

求められ、わかっていれば帝王切開

でもそんな用意は何もなくいきなり

この状況大きく切って片足出た赤ちゃんを

引き出すしかなかった様子。

助かっても脳へのダメージは

避けられるものではないという話

私のお腹が広いのか

通常臨月でクルクル回るスペースなんてあり得ない

らしいけど私の場合は2度もあり本当に

普通に産めることばかりではないと思い知らされ

出産が怖くなりました。

赤ちゃんの容態が落ち着いてから処置したためかなり出血

なんとか病室まで自分で歩いて辿りついた時

病室で待っていてくれた母の顔見て

ホッとしたのか崩れ落ちるように意識がなくなり

次目が覚めた時は付き添いで来てくれていた

看護師さんに頬をパチパチ叩かれ

ベッドにいました。

心配そうに顔を覗き込む母を見て

うっすら思い出す記憶

あー気を失った時下から流れる温かい水のような感覚

アレが血液だったのね。。

徐々に状況がつかめ

あれ?!うん、大丈夫。。どうしたんだろ??私

そんなことを思いながら起き上がろうとすると

貧血だねー突然いろんなことがあり過ぎたから

赤ちゃんも後で見に行ってもらえるし

少し休みましょうねーー

そんなふうに促され休んだら朝になっていました。

旦那様は私が病院到着後、父からの電話で知らされ

駆けつけてくれましたが東京から奈良は遠く

翌朝でした。

こんなの間に合わないよーーーとニコニコした顔で

言いながら

病室に入ってきた旦那様

状況が掴めていないから無理もないけど

まあ、そんなどころじゃなかったことは

私の両親が伝えてくれたので

徐々に理解出来た様子

あの時

両親は私が分娩室に行ったと聞かされ向かうと

廊下には点々と赤い血が分娩室まで続き

後に説明に来てくれた先生はとても興奮され

大変な出産になった事を伝えてくれたようです。

腕まで赤くなっていたお医者様の

その様子に壮絶な出産だと感じたようでした。


赤ちゃんは黄疸が出ているということで緑色の光の中にいました。

見に行くと可愛くてでも、

保育器に入ってるどの赤ちゃんよりも

大きくて笑ってしまうほど元気そうでした。

握る力も強く普通だと言ってくれる旦那様

私は赤ちゃんより一足先に退院になりました

それからはまだ病院にいる赤ちゃんの為に

搾乳機でおっぱいを搾乳して、冷凍したものを

病院に届けることに頑張る日々でした。

産後のヒダチも大事だからと

父が運転してくれる車に私が乗って冷凍おっぱいを

赤ちゃんのいる病院に毎日届ける日々の始まりでした。

失いかけたかもしれない命が

そこにある奇跡だけが本当に

ありがたくそんなの手間でもなんでもなく思えました。

私は1人目の時からそうでしたが

母乳があまり出ず、初乳だけ飲ませたら

あとはミルクで良いですよ。と

言われそこからはミルクにしました。


2000年辰年生まれの元気な男の子

旦那様の希望通り産まれてくれ

私に自信と喜びを与えてくれ

生涯にわたって大事な大事な一人息子くんの誕生

私より10日ほど多く入院して退院した

息子くん可愛くて元気で何も問題なく見えるけど

1歳になったら大きな病院でしっかり1度

診てもらってください。

耳のスクリーニング検査が

点数が良過ぎて先生がとても褒めてくれたのを

思い出します。

悪いことを言った後のフォローのようにも

思えましたが

私の心は障害が残っても残らなくても

天使だと思って息子くんを育てよう!!

そこにいてくれるだけで良いんだよ。

そんな気持ちで育てようと心にきめていました。

やはり普通に産まれたわけではないと

先生の言葉に思い知りましたが

そこに居るそれだけで私にとっては

他のことはどうでも良かったのです。

産まれたあとは皆と一緒

少し実家で育児を練習し、東京へ戻りました。

上の子のオムツは 母が里帰り中にとってくれていた為

1人だけに集中出来

とてもありがたかったのを思い出します。

どんな産まれ方でも赤ちゃん期は同じ

普通の赤ちゃんと同じように

よく寝てよく食べてよく排泄し

とてもお利口さんでした。

こちらの言ってることを

理解するのも早く

ミルクを作っているところを見るのが大好きな子

もう直ぐもらえるそう思うだけで涙が止まります。

私は1人目の時より
優しく優しく育てました。

優しければみんなが助けてくれる

優しければみんなに愛される

そうおもったからです。

旦那様の私の好きな所は根本的に優しい所

その遺伝子なのか

息子くんとても優しい子に育ちました。

あってもなくても良い

そんな思いで育てた息子くんもいよいよ

1歳、大きな病院へ受診しました。

それはそれはとても大きな病院で

事情を説明したけど

パッと診て

お医者様は何も問題ありませんねー

そんな超高速診断でした。

まあその言葉が欲しかったから

私達もそれ以上追求せず

良かった良かったと安堵して帰ったのも

昨日のことのように思い出します。

待つ時間の意味

私は息子の出産を通して

大事なことに気づきました。

人は何かを待っている時

どうしても早くしてほしいとか

速さを求めがちですが

それだって何か意味があるのでは??と

思うのです。

息子が生まれてこない間

多くの方にお腹を触って祈ってもらった私

その時

ある人から赤ちゃんには赤ちゃんの

事情があるのですよーとニッコリ言われました。

ん??!!なんだなんだ?!

正直その時は分からなかったけど

息子を産んでわかりました。

待つ時間には意味がある。

待つのは全ての準備が整う必要があるから

あの時、あの先生じゃなかったら

あの時間じゃなかったら蘇生機がすぐ

使えたか

他の出産と被っていたら

などなど考えると

待つのも何かを最良の状態で

進めるための準備期間だと思えるのです。

現在待兆では

待兆の今後の使い道を模索中と

いろんなところに張り紙でお知らせしております。

昨日少し動きがあった模様

そちらに委ねるか

どちらに転ぶかわかりませんが

またこれも最良の場所に落ち着く為の

準備期間に私には見えてなりません。

最良のところが

どこなのか何もわかりませんが

だからこそ人生は楽しく険しく時にワクワクし

やめられないのだと思います。

神様だけがご存知なその場所

それがあると信じて

一つ一つ丁寧な接客を

今日も頑張ってる頃だと思います。

仕込みも合わせるとほぼお店で暮らしている

状態だと聞いてますが

このクラクラな日々も

きっと良い思い出になることと思います。

色んなこと有りながら

先日の入学式に繋がっていた息子くんの人生

始まりもドラマチックで

途中もドラマチックな息子くんの人生

脳への障害はあると言えば

あるような所もありますが

秀でた才能もあるような気がします。

天才だと思って育てて良かったと

今は思っています。

他人と比べてどうとか

兄弟ですら我が家ではありませんでした。

それぞれを個別に一つの人格として

見ることができて良かったと思います。

息子の優しい言葉

ごはん終わり

いつも私の左肩に手を乗せ

ママ〜美味しいごはんありがとうと

言葉で言ってくれる息子くん

誰よりも優しい子に育っています。

行く道が見えなくなった時も

何かあってもなくても

優しければきっと誰かが助けてくれると思います。

素晴らしい人生になりますように

これからも息子の優しい言葉に支えられて

生きていけること神様に感謝します。

待兆では

閉店前来店下さったお客様に

メッセージを残していただきたく

桜型の紙を只今準備中です。

薄緑色の模造紙に貼って

両親の宝物になる予定です。

あと少し娘達も力を合わせて

頑張りたいと思います。

本日も最後までお読みいただきありがとうございます😊