RURU1234’s blog

私のこと家族のこと日々のお料理書き綴りたいと思います。

健康を守るということ❤️

今日も日が暮れ、

もうすぐ日付が変わろうとしています。

お仕事の日はいつも

ブログをいつ書くか

そればかり考え

なんだか焦る日もありますが

毎日投稿を心がけ

やっているだけでも

凄いと家族は褒めてくれます。

できれば日付が変わる前にと思いますが

今日はムリはしないで

じっくりブログ書きたいなぁ。と

思います。

↑↑↑これは父の元から妹が帰るとき見つけた虹

今日は父が無事退院

妹家族が

兵庫から迎えにきてくれ

無事に父をお家へ連れ帰ってくれました。

本当素晴らしい働きを

いつもしてくれる妹家族には

ありがとうしか言えません。

離れているから

その様子を見れるだけで

あーー良かったと思います。

なんだかんだあっても

2人は一緒が一番

これでいつも二人は、近くに居られる。

父と母が

自宅と病院と少しの間でしたが

離れ離れだと

心配で心配で

母が

どんな時も一緒に居たいと望むのは

父だということが

今はとても微笑ましく感じます。

↑↑↑コレは唯一触っていい父の後ろ髪を触って〜

気持ちよさそうな顔を

ふざけてする母のユラユラ動画の一部

お店をしていた頃は

ちょっとした行き違いで

おたがいがお互いを想う故の

行き違いが多く

どちらの言い分もよくわかるし

お父さんならそう解釈しちゃうよなぁ

お母さんなら、そうなっちゃうよなぁ

ということがとにかく多くありました。

父は母に心配かけまいと

頑張りすぎちゃったり

母は母で父に負担をかけないようにと

頑張りすぎちゃったり

そんな母をまた心配する父がいたり

遠くから眺めいてる私には

なんだか歯がゆく想う事も

正直たくさんありました。

でも今思えばアレはアレで

夫婦にとってかけがえのない瞬間でも

あったのかなぁ〜とも感じるのです。

結婚式で誓う言葉

軽くなんて誓ってませんが

病める時も健やかなる時も。。ってアレ

まさにアレですよね〜

良い時も悪い時も

共に過ごして支え合う

夫婦っていいものだなぁと

両親を見ていて感じます。

私も旦那様とそんな間柄になれたらいいな☆

と思います。

数日前旦那様から

きょうは職場の人と焼肉に行くことになりました。

ご飯は要らんよ〜という

ラインが届きました。

私は旦那様が焼肉が苦手なのを

わかっているので

焼肉かぁ。。大丈夫??

あっさりなタン食べときな〜☆

と返信しました。

すると

そうします。

と旦那様から返信が来ました。

家族のグループラインなので

娘ちゃんも会話に入ってきます。

ぎゅうたんたたんたたんたたたんたーん

と謎の言葉で牛たんをもうすぐ食べるパパを

言葉で煽ります。

するとだんな様が

5年前の今日は、緊急入院した日でした。

健康第一で油はなるべく控えます(笑)

と返信してきました。

娘ちゃんの煽りは無かったかのような

華麗なスルーしながら

5年前のSNSに投稿していたようで

5年後に

あたらめて健康について

考えたようです。

5年前寝ていたら

突然身をよじって痛がる旦那様

寝ぼけ眼で

でも大変な痛がりように

私は旦那様に言われるまま

救急車を呼びました。

午前2時のことでした。

電話を受けてくれた救急隊の方が

サイレンはこの時間なので近くまで行ったら

鳴らさないで行きますか?

と言われるので

そうですねーではそれで。と言い電話を切ると

旦那様は

苦しいピークを過ぎたようで

案外ケロッとしていた為

夢を見てるみたいでした。

自分で歩いて外まで出ると言う

旦那様に付いて

救急車を家の前で待ち

なんか変だなぁと

思いながらも救急車に乗り込み

お財布や携帯や保険証など

確認しつつ付き添いました。

これからどうなってしまうのか

不安で仕方なかったのを

昨日のことのように思い出します。

病院に着くとすぐ診察

とはいかず

待ってる方もいるので

少しの待ち時間ののち

呼ばれ

診察

黄疸でてますねー

の言葉にびっくりしました。

胆石が前々からあるとは聞いていましたが

その位置がたまたま悪くなった瞬間に

猛烈な痛みを伴った様子でした。

旦那様は石を作りやすい人だと

いうこともわかり

緊急入院となりました。

2人で乗ってきた救急車を見送り

旦那様を病院に残し

私1人

ここがどこだかも分からない場所から

スマホで調べてとりあえず子供達の待つ

お家へ電車と徒歩で帰りました。

帰る道すがら

親友に状況を説明し

話を聞いてもらい

必死で心を落ち着けました。

あーー何故毎日顔を見ているのに

黄疸に気づかなかったんだろう

自分に落ち度があるように思えて

思えて仕方ありませんでした。

何だか旦那様の食事を作ってきたのは私

私の食材選びや調味料選びなど

食べるってことを任されていることの重みを

痛いほど感じた瞬間でした。

でも幸い手術すれば

何でもない。

と言われ

数日後

仕事の段取りを整えてから

再入院し

手術していただくことになりました。

胆嚢を胆石ごと取る手術で

本人は腹腔鏡手術を受けることになりました。

簡単におっしゃる先生にすべてをお任せして

正にまな板の鯉

身体は大きいけれど

実は怖がりな旦那様を

毎日付き添いに行って励ましました。

お仕事しながら病院の付き添いもして

今考えるととてもハードでした。

病院へも家から自転車で通い

そのまま家を通り越し、職場へ向かう日々

でも私とてもしんどかった思いより

やり切りたかった

せめて旦那様の留守中の家を守り

旦那様のことも守りたかったんです。

考えてみると年の差夫婦

実は私と旦那様は11歳も年齢が離れているので

頼ることばかりの私

結婚して頼られたことなんて無いくらい

いつも私をグイグイ引っ張ってくれる旦那様です。

その性格も社交性に富み

1つのところに留まらないタイプの人な為

病院に入院してる間はとても新鮮でした。

行くと必ずベッドにいるというのが

なんか新鮮で

私にとってはある意味デートみたいで

楽しかったのを思い出します。

腹腔鏡手術による胆嚢摘出

小さな穴を数カ所開け

ロボットアームのようなもので

要らないものを取り除き

傷を縫って終了という

簡単なものでしたが

それでもとても心配で

一生懸命祈って過ごした時間のことを

思い出しました。

術後も一番痛い日などは

機嫌が悪く

お家に子供達を残してわざわざきている

私にとっては

ちょっと辛くて思わず

嫌なら帰るから言ってね

と言ってしまうほどでした。

最初は食事もできずに

きっと旦那様のイライラも最高潮だった

そんな時でした。

痛みは次第になくなり

やがて退院へ

胆嚢をとって

退院前の主治医先生との面談で

今後どう変わるのか?

まあ、今までとかわらず同じようなものを食べたい。

そう言った時、

主治医先生はお腹が痛くなり、

トレイに行くことになります。

そう言っていました。

旦那様は

あーそれなら今までと同じってことですね。

わかりましたーー。

と軽い返事をする旦那様

せっかく治してもらったのに

そんなんじゃ、お医者様もやりきれないだろうと

思ったのが五年前の事です。

退院後も

胆嚢がないのに

脂っこいものを好み

刺激物もダメなのに

好む旦那様

案の定、食べた後は長くトイレに駆け込むように

なり、私も家の食事だけでもと

変えても変えても

食べ過ぎてしまったりでした。

家で気をつけた食事に変えても

前と変わらないので

本人外では更に脂っこいものを

食すようになると

具合があまり良くない。という日もあり

困ったもんだと思っていた頃もありました。

胆嚢とは

食べ過ぎた時や

油を多く取り過ぎた時

それを中和させたりする

たん汁というものを

貯めておくタンクのようなもの

それが出ない事で

不具合が生じていたのですが

こればっかりは本人が思うようにする以外なく

家での食事をしっかり気をつける事

そうする事で食べるものの半分は

カバーするようにしました。

具体的には

使う油を

グレープシードオイルに変えました。

そして極力

油分を抑え

お肉から出る脂なども

使ってうまくうまく調理するようにしました。

最初はそんな私の見えない働きは

本人には分からなかった様子ですが

次第に家と同じものを食べても

外で食べると具合が良くなく

家だと大丈夫と気づき

何かしてくれてる。と思ったようです。

それからも、もちろん

食べ過ぎたり、油を取り過ぎたり

してからでも気づくしかない様子は

胆嚢を取ったものにしか分からないものだと

思いそっとしてきました。

だからこのラインは

私にとってはとても嬉しく

なんか

旦那様の健康

これからも見守っていきたいなぁと

感じるものでした。

SNSって大人はフェースブックのイメージですが

私は今だにツイッター

どちらにしても大きな出来事は

記憶しておいてくれ

数年前の今日はこんな日。と

教えてくれるのもまた素敵なシステムですね。

私達三姉妹の旦那様達もまた

お陰様で

おたがいがお互いを尊重して

良い関係で居られているのも

私達三姉妹からすると

不思議なほどで

それぞれが出過ぎる事が

決してない間柄で

素晴らしい旦那様たちなんです。

年齢的には私の旦那様が一番歳は上ですが

姉の旦那様が

年齢を重視して

私の旦那様を立ててくださいます。

最初はその感じに

慣れず居た旦那様ですが

次第に心を許せるようになってきたようです。

そして妹の旦那様は

控えめで

これまた良くできた旦那様

その働きは遠くに住む私達の出来ないことを

出来るだけやってくださって

本当にありがたい存在です。

素敵な旦那様たちに支えられてある私達

それを思うと

それぞれの旦那様にそれぞれが

いっぱい愛されて

お互いがお互いを

よかったね。

嬉しいなぁ。と

自分のことのように三姉妹それぞれのことを

同じ気持ちで喜べる事が

また何よりも嬉しい瞬間です。

5年前の今日ということで投稿すると

大変な部分だけ読めてしまったのか

姉から

姉の旦那様が心配してるけど

大丈夫??とラインが届きました。

もしや??と

これは5年前の事だよーーと返信しながら

姉の旦那様と私の旦那様には

当たり前ですが血の繋がりは一切なく

全くの他人なのに

SNSの投稿にも気遣ってくれる優しさに

私は感動すら覚えました。

結婚して家族になって

それぞれがくっつきどんどん大きくなる

家族の形

本当に奇跡のような出逢いです。

自分が作る家族

その1つ1つがくっ付き

大きな家族になる

それがきっと

建前だけじゃなく

こんな風にしっかり無理なく強固に

なっていくのって

素晴らしく素敵な人に出会ってるから

なんだろうなぁ〜と

みんなそれぞれ、色々ありながら

それでも前へ前へ進んでいける幸せを感じました。

父は退院し孫達と食事をし団欒し

とても素敵な時間を過ごした様子

妹の旦那さんは

今までお店があった父と

こんな風な時間を持つのが夢だったようで

今日は父のチェロを

妹の旦那様が持つ瞬間もあったようです。

私の父はモーツアルトが大好きな

楽家

クラシックには相乗効果が期待と

昔父から聞いた事があります。

野菜などにクラシックを聞かせて育てると

美味しくなるとか〜

きっと父はガンちゃんにクラシック聞かせて

一緒に楽しく毎日を過ごすのかな?

そんなことを思いました。

母は今日も父のそばで大笑い

孫と遊んでは

ひょうきんな母は

いつも大笑いをさせて

人も周りも明るくしてくれています。

ベランダの草花にただ水を撒いてるだけなのに

孫がキャーキャー言ってる動画が送られてきました。

母が水撒きしてる隣の窓から

孫が母に声をかけると

隙をついて、ホースのシャワーの水を一瞬

孫に向けるのですが

これが絶妙にちょっと濡れるか濡れないか

妹の子供は2人とも男の子な為

この手の遊びが楽しかった様子。

窓についてるカーテンでうまく隠れながら

水撒きする母に挑戦していました。

その母と孫の様子を横目に父も楽しそう。

妹夫婦のくれた時間は

父母にとっても最高に

幸せな時間だった様子です。

お家に帰ってきて

2人揃って寝ているかな??

そんなことを思いながら

私が寝落ちしてしまいました。

寝落ちというのは

スマホをいじっていたはずなのに

いつのまにか寝てしまうことです。

ひとつひとつ目の前のことを

喜んで片付けていく

私もそうありたいと思います。

苦手なことにも取り組んで頑張ろうと

何故か最近思い始めています。

物を捨てるのが苦手ですが

思い切って捨てて新しいものを買うのも

また素敵ですね♪

人も年々歳をとり似合うものも変わってきます。

それに合わせて変わることもまた

進化には必要だなぁーそんなことを感じました。

さぁーーものを捨ててみよう

本日も最後までお読みいただき

誠にありがとうございました😊

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