RURU1234’s blog

私のこと家族のこと日々のお料理書き綴りたいと思います。

夢みたいなすい臓ガン🌈

待兆

両親が20年間大事にしてきた

地鶏料理屋、焼き鳥、待兆

両親の年齢も高齢になり

そろそろ2人共体もキツイだろうと

閉店解体の運びに三姉妹とその伴侶と

話し合いここから先は

ゆっくり第2の人生を〜なんて

思って解体を完了したのが

つい先日の事です。

手塩にかけて育てた娘のようなお店

その解体は

両親にとってはとても辛く

2人は出来るだけ見ないようにしていた様子

なんかその気持ちもわかるよ

そりゃそうだよーー

でも、本当ここまで来れて良かった

これ以上無理して営業を続ける必要がなくなって

これでやっとゆっくり出来るねー

私たち三姉妹の口から出るのは

ゆっくりしてねーーの言葉ばかりでした。

77歳になる父はつい先日まで

20年続く料理店 待兆の厨房

店全体を仕切るオーナーでした。

そして70歳になる母も

いつもそのオーナーの傍に

ニコニコ満面の笑みで居るのが

ママさんでした。

2人合わせて〜

母の口癖は

2人の年を足して

2人で147歳‼️

いつも2人はワンセットなのです。

父が胃がんになり

胃の2/3と胆嚢を取ったのが2010年8月5日

母が乳がんになり

両方のおっぱいを取ったのが2019年5月10日のこと

2人はいつも支え合って

足りない部分を補い合ってきました。

だから、私たち三姉妹はもう十分頑張った両親に

心からゆっくりしてもらえると

20年続いた店の閉店解体は寂しいけど

その先の未来に希望を持って生きてほしいと

思いました。

閉店解体して

いつも、お店があるから

仕込みの時間を気にして

お料理のあしらいに使う

季節の葉っぱを近所で調達

桜の葉っぱや竹の葉や紅葉

季節感あるあしらいを2人で摘むことさえ

どこへ行くのも一緒

何でも行動の早い母はサササササ〜と

摘むはつむはー三姉妹には母のその姿は

見なくても想像できちゃいます。

行動が遅いわけではないけど

何でも勝負とは思っていない父は

母と合わせて50枚くらいになったら

もうええなぁ〜〜と2人でとった葉っぱを

コンビニで貰える1番小さい袋に入れて

大事に持ち帰り一度洗って

お料理の横に添えていました。

当たり前ですが今はもう葉っぱを摘む時間も

もうありません。

でも、あの時間は今に思うと幸せ時間だったと

母は閉店後いつだったか話してくれました。

仕込みを気にしてどこかへ出かけても

いつも時計を気にしていた両親

14:00には店に戻ることを

常に逆算

今では長年の癖で出先で時計を気にしては

あっそうだった〜〜と安堵する日々。

やっと、やっと新しい生活リズムに慣れてきた

そんな両親です。

ゆったりってどうするんだっけ?!

やっと手に入れた

二人だけのゆったり時間

あまりにも時間がありすぎて

一緒に居すぎて

性格的には真逆な2人は

合わないことも度々あります。

ゆったりが分からない。

定年後の生活

リタイア後の生活って多くの人がそう

お互いの存在を感じつつ

いつもと違う時間に相手がいる中で

自分のリズムを作っていく

両親も最初は難しいようでした。

何もかも一緒でも多少の煩わしさは

どこにでもあるもの

私だって旦那様の定年後はきっとそうだと思います。

夫婦と言えどももとは他人

良くも悪くも

それぞれの個性が満載なのです。

性質的には陰陽

ヨーイドン‼️と言われなくても

必ず何事も全力で取り組む

身体は大人だけど小学生のような負けん気ココロ

を常に持つ母と

そんな母にはいつも速さでは負けるけど

正確な分析を頭でして

物事の行く先を是が非か判断してから行動に移す父

母の持つ抜群の爆発的行動力もすごいスキルですし

頭脳で分析する事で

あらかじめ予想される危険を回避する父の持つ力も

大事なスキルだと思います。

ねっ☆足りないところは足りている2人

補い合うというより2人をワンセットと

見ると ねっ☆〜読者の皆様〜

本当に2人はワンセットで全て足りているんです。

閉店1日前に奈良へ

閉店1日前から私は

待兆の最後を見届けたいだろう姉や妹の想いを

乗せて1人奈良へ向かいました。

閉店後の生活も少し掴めるまで

そんな思いもあり少し長く

東京の私の家族や職場のオーナースタッフの

協力の元行かせてもらいました。

このブログでも紹介しましたが

お手伝いをするつもりが教えてもらうことが多く

バタバタな私でした。

両親の宝物〜待兆〜の閉店

開店のような閉店で

それはそれは華々しくデビューのような

閉店になりました。

桜の散る頃2019年4月15日のことでした。

あーーここは多くの人に愛されていたんだなぁと

閉店1日前に来た私にもびんびん感じる

柔らかな時間

別空間に居るような

手前味噌なお話ですが

それは本当に世界で一番心温まる空間でした。

私が居る事でその瞬間を写真に収めたり

両親だけの閉店ならこんな笑いのある

閉店にはならなかっただろうと

今でもこの時の私に感謝を伝えてくれる両親です。

店でも人に尽くす

店の中で出会った人に尽くす事が

どれだけ大きな力を人に与え

あんなに大きな和気藹々の輪を

広げることになるのか

その集大成とも言える

本来は目にミエナイ形を見せてもらった気がしました。

閉店すると

ゆったりってどうするんだっけ?!

心に穴が空いたようにも思えたかもしれません。

心に穴なんて無いけど

たしかに空虚感はある

さあ、これから何にも縛られない生活

って言われても

リハビリ期間が2人には必要でした。

だから私は閉店後の2人にも密着❤️

1人

平城宮跡の芝生の上なら

足腰に優しいんだねー

まるで絨毯の上を歩いてるみたい

とはしゃいで見たり

ネコ

私の猫と芝生に寝そべり対話したり

2人

1人先を早く歩く父に母が追い付こうと後を追ってみたり

シカ

奈良公園の鹿さんに会いに行ったり

ピザ

手作り窯焼きピザを食べに行ったり

ゆったり過ごすとはこういう事

これからの時間をどうか楽しんで♪

そんな気持ちで2人を見守りました。

私が帰った後も

閉店後の残務処理はありつつ

ゆったりゆったり


蓮華ばたけに2人で出かけてみたり

日課である早起きしてのお寺詣りや

お墓まいり

お散歩

私のブログの為の写真をあちらこちらで

撮ってくれたり

やっと掴めてきたのかな??という感じでした。

待兆を営業中から

年齢もあり父の足は悲鳴をあげていました。

痛いけどやらねばならないことは

山ほどあったため

無理をして無理をして

足を引きずりながら頑張っていた父

足が痛いとか膝がとか

ありながらも何とかかんとか

2人は支え合って

淡路島小旅行にも出かけた様子

父も母もゆったりを満喫

私のブログの写真収集の事が

頭から片時も離れないようで

たまたま行った植物園の植物の写真が

何も聞かされないまま

画像だけ200枚近く送られてきたときは

本当ビックリしました。

事情を聞きなるほどねー良かった良かったと思いながら

こんな時くらいゆっくり楽しんでくれたら良いのに〜

とよく思ったものです。

でもこんなに綺麗な草花や高そうな見たことない欄

そのどれもが素敵で

ファインダー越しの両親の想いも乗せてくれる

写真たちに私は大変感動しました。

こんな日が来て良かった

たまたま行った植物園で

その日はたまたま生演奏

クラシックの好きな父は2公演とも

聞きたがった様子

父の願いは自分の願い

そんな思考の母は

それに合わせて

ずっと一日中広い広い植物園で過ごしたと聞きました。

夕方になり帰るのも疲れたねと

泊まる事にした様子

突然でキャンセルがたまたま出た宿泊先があり

泊まる事も出来た様子

温泉もあり♨️楽しんだのかな?と

普通の感覚でいると

両方のおっぱいを取った母は

突然のお泊まり温泉も覚悟なしには

入れないドキドキがあったようです。

そうですよねーそりゃそうだ。

でも

負けん気で生きてると言っても過言では無い母は

早朝人のいない時間を狙って

チャレンジ‼️

広い大浴場に3人ほどの時

人目を気にしつつ何とか

乳がん両側全摘術後1年で初の大浴場を

満喫したようです。

母が出たあと

パラパラパラパラと増えた大浴場の人口は

言うまでもありませんが

セーフ間一髪楽しめたそうです。

報告に安堵しつつ

どんな心の葛藤があっただろうか

想像すると鼻の奥がツーンとしました。

乳がんでも入れる温泉

全国にはピンクリボンのお宿という

お宿が存在します。

これはある温泉宿の女将さんが

自分自身が乳がんでその傷跡などを

人目を気にせず入れる貸切風呂や

乳がん啓発キャンペーンなどに

積極的に取り組む温泉宿さんなどを募集し

賛同された皆さんで

出来たもののようです。

詳しくはググれば出てきます♪

傷跡を見せないお風呂用の肌色のウエアなども

あり、見られたくない人にも見たくない人にも

配慮されたものがたくさんありますので

体の傷が胸じゃなくても

大きな手術をされた手術跡の気になる方などにも

良いかと思います。

大きな手術を乗り越えて

旅をする希望まで無くさないで〜

そんな気持ちが詰まった女将さんの思いのようです。

閉店後落ちた食欲

なんか痩せてました。

年齢のせいかな??

ちょっと閉店前

久々に会った時にも気になりましたが

閉店後一緒に過ごす母は

なんか気になるとずっと言っていました。

ホロっとした目をしているの

ウンウン閉店したし解体したし

疲れも今まであった重責から解放され

燃え尽き症候群かな??

いや、老人性うつ??って可能性だってあるよね。

そんな話をしていました。

一度しっかりみてもらうのも良いね。

そう言って母に父を託し

父にこの際しっかり診て貰った方が

安心だしね〜そんな感じに促し

病院に行って貰ったのです。

あら?

病院で異常が見つかった様子で

待たされるのが当たり前の

病院内の見事な連携により

色々な検査が猛スピードで行われたそう

それはそれは

何かあることを意味していました。

いや、嘘でしょ?!

や、め、て、

正直どう思えば良かったが見つかるのか

私も久々の難題出題に

大きく戸惑いました。

そこは沈黙の臓器と呼ばれる怖い場所

神様って居るの?

だいたい困ったら神頼みなのに

日常の感謝を放り出し

神様を疑う私

ダメな奴のテンプレートです。

せっかく2人でゆっくりを望んでここ数ヶ月

三姉妹の結束かたく、

両親の第2の人生を応援してきたのに

どこどこまでもドラマティックな人生にしようと

なさるその技

それには正直

あなたねー‼️と物申したくなりました。

しばらく何だか感情が変でした。

妙に可笑しくて笑い出したらよく笑い

急にワーワー泣き出したり

イライラもしたり

悲しくて悲しくて

ブログなんて書くことも浮かばない日々でした。

でも、だからこそ

書かなくては

うんココカラ正念場

そう思って

誰にも知られていないことを

それとわからない言葉で綴る事になりました。

診断結果は5人で一緒に

もっと詳しい検査をと検査入院したのが

2019年6月5日

結果は2019年6月7日朝9:30から

少し前より奈良の両親の元へ

神奈川から高速バスで駆けつけた姉と

早朝家を出て

幼い子供のお世話を

旦那様にお願いして兵庫から駆けつけた妹

そして私は後で全然構わないと思っていました。

後から姉が録音でもしてくれたものを

送ってくれればそれで充分

それなら、その場の雰囲気を感じて

取り乱したりしなくて済むし

感情で生きてる私にはちょうど良いかも

そんな風に思っていましたが

いつの間にか私は電話で参加と決まっていました。

え?!マジですか?!

ハァーーー逃れられないのね。。

そんなことを思うと前の晩はなかなか眠れず

眠るのは後にしようと少しウトウトして寝るのは終了

早朝ゴミ出しをし普通より早起きです。

ならばと泣いてもいいように

バスタオルを首にかけ

すっぴんでお電話を待ちました。

そろそろだよー妹のラインにドキドキが強まります。

予めある知識

家族の一大事に間に合うように

怖がりの私はある日から

闘病ブログを読み漁りました。

まだ何もない頃です。

今に思えば備えておいて良かった

虫の知らせかな?先祖の祈りかな?

だから、少し予想はしていました。

これはかなり厳しい結果を聞く事になること

だから前以て感情が爆発していたんだと思います。

父の前前職

待兆をしていた頃は自分のことを

ただの焼き鳥屋のおっちゃん

と言う父ですが

実は前前職は

健康の仕事をしていました。

人様の健康を願い

困っている人を助けていた父

だから、お医者様ではありませんが

体の仕組みや

なんやかんやと詳しいのです。

だから何かあってもなくても

父には全てお見通し

隠すなんて絶対無理な私たち

だから、ありのままでいました。

さあいよいよ

音声で聞こえてきます。

予想より少し高い先生の声

男の人の声は低音が好きな私

ちょっと高いけど優しい声でした。

所々途切れて、わたしだけ置いていかれそう

置いてかないで〜〜涙

ちょっと音声落ち着いてきた頃

聞こえてきました。

今日この前とった細胞の検査結果が出ると

思ったんですがまだ出てないんです。

ただ見た感じおそらくそうだと思います。

なのでその前提でお話しさせてください。

すい臓に2センチ強

肝臓に大きいもので4センチ、その他大小あり

手術はなし

一箇所だけなら放射線もアリですが

二箇所なのでこちらもなし

抗がん剤の治療になります。

すい臓と肝臓に別でなることは

あまりないので

すい臓からの肝臓転移

こーゆー見方でした。

ステージというのは1からありますが

4です。

先生のお話の仕方が

理系でありながら

何もわからない人にも伝わるような

とてもわかりやすいものだったため

どこにも泣きポイントがありませんでした。

それどころか

どうしましょう??今日中に速報?!

あー検査結果がわかれば

ご本人さんにお伝えしましょうか?

私たち家族はなんか違うけど良い言い方にも思える

速報という言葉に笑いさえ起きていました。

同じ環境で育ったからか

笑いポイントまで皆んな一緒でした。

父の反応

父はどんな感じかと言うと

あーそーですかー

そーですかーーと

まるで料理の味付けでも

極秘のやつを教えてもらってるみたいな

キラキラモード

え?!なんかお父さん想像していたのと違う?!

もっとぐしゃぐしゃにみんな泣いて大変かと

思ったけど私の頭は混乱しました。

音声だけでも父のその清々しさは凄いものでした。

父は全面的に目の前のお医者様を信頼して

セカンドオピニオンなんて全く考えていません。

ここで全て☆☆先生に全てお任せしたい旨を

全身全霊で伝えています。

むしろ感謝の言葉なんかも飛び出す

その様子に私もとても驚き救われました。

その場にいない私には雰囲気しか

わかりませんが

母からも姉や妹からも朗らかな笑い声や感謝の言葉が

溢れていて

すい臓ガンステージ4の

告知のシーンではないかのようでした。

私はこの後自分がどうなってしまうのかと

告知の日が仕事でもありドキドキでしたが

思ったより、取り乱すことなく

ひとしきり数日前より心を整える準備を

してきたからか

ナニコレ??ってほどの清々しい気持ちでした。

誤算

先生の説明がひと通り終わった後

何故かビデオ通話にしてくれ

私が映ると

ドヤドヤと起きる笑い🤣

すっぴんでボサボサの女が

バスタオルを首からかけ

ボクシング後の人みたいな格好なんです。

いやダアーー笑笑

完全に音声のみと油断していました。

この後もご家族だけでのお話等ありましたら

このままこのお部屋使ってください。

そう言って退席された先生〜

本当にありがとうございました。

きっとこんな家族は珍しいと思います。

変かもしれないけど私はこの家族で心から

良かったと思います。

ステージは4で

膵臓癌で肝臓転移

どんよりして普通なのに

父は全てを受け入れ

むしろ聞く前よりパワーアップしていました。

よーしやるぞー

食欲無いんですーと受診したのが嘘のよう

検査で絶食の夜

点滴で栄養は足りていても

食べたかったのでしょう。

お食事はいつから?と聞く姉に

明日の昼からやてーーえらいゆっくりしてはるやろ?

とちょっと楽しくなさそう

そんなこともあり

今では

病院食でも、楽しみにしている様子

検査入院初のお食事は

本当に最高に美味しかったようで

いそいそとお手紙を書いていました。

状況的には最悪なのに気持ちは最高潮って

全部父のおかげ

私も悲しんでばかりじゃなく

次なる目的目標を持って

いけそうな気がします。

世の中にはサヨナラが言えない時も

突然のそれは

サヨナラも

アリガトウも

ゴメンねも

言えませんが

今そこにいてくれる人には言えます。

思った事はしっかり伝えよう。

もっと何もかも大事にしよう‼️

そう思いました。

夜になり家族のグループラインに父から

令和元年6月7日

私は市立病院の

消化器内科☆☆医師より、膵臓癌、肝臓癌、ステージIVの宣告を受けました。そうかと思いました。妻と長女と三女が同席し次女ルルもラインの電話で参加しみんなで先生の話を真剣にきいてくれました。私はこれも大自然の摂理の極一部分と捉え、又これも神様のお仕組みであり、ここで発見してもらえたことこそ「感謝」の外のなにものでもないと思いました。

昔、小説のこんな言葉に感動を覚えたことがありました。

「絶望と悲哀と寂莫とに堪えうるごとき真なる生活を送れ。絶望と悲哀と寂しさに堪えうるべき勇者たれ。我に母あり。」と続くのですが、今私はもっと強くなりました。この場に及んでも、絶望は何もありません。悲しみも何もありません。寂しいこともなにもありません。最後のところの「我に母あり。」を「我にいとおしい妻と素晴らしい三人の娘、長女次女三女あり。」と置き換えたらよくわかります。

またまた大きな希望が湧いてきました。この希望を夢に終わらせることなく叶えるため、みんなの力を貸してください。

癌細胞も、元はと言えば、不覚にも私が作った細胞です。憎まず愛して、去っていただきましょう。私はまだせんならんことがあります。早くこのガンチャンとサヨナラして、妻といっしょに楽しい

人生を全うしたい ものです。


診断結果を受けあの私の人生の最重要人物の彼女が動いてくれました。

大雨の中埼玉県の

有名な癌封じの神社へ

絵馬に願いを書き

父のことを祈り

癌封じのお守りを貰ってきてくれたのです。

こんな人が居るのかと

その行動力優しさ温かさに

家族みんなで感動しました。

彼女はここのお守りで今までも何人もの

癌患者さんの助けになってるようで

本当にあやかりたいね。と話しました。

なんか奇跡起こりそう

どうなるかなんて

まるで何もわかりませんが

穏やかに過ごせる時間が今あることに

私は感謝を深めています。

私は病気は

わかった時がわかり時だと考えています。

両親が2人ともに

癌なので体質的にはガンちゃんに備えが必要です。

そのため何もないうちにと

私は保険にガッチリ入り

すでに備えば万全です。

何かあっても無くても

父のようにいつも清々しく

何かが起きた時でさえ

境遇を決して不幸に思うのではなく

そこにある幸せを身いっぱい感じて生きていたい。

そう思いました。


9:30にお話あった後お昼食べながら談笑する父の姿

まずはジェマザール様とアブラキサン様

どうぞ父のことよろしくお願いします。

ガンになっても

闘うとかやっつけるイメージでは

いつもない父

ガンチャンとともに

運命を完全に受け入れています。

道のりは未知ですが

父なら大丈夫👌

そんな気が強く強くしました。

誰かのチカラに

誰かのチカラになるかもしれない

そう思い

父の長文のラインを

そのまま母の名前や私たち三姉妹の名前

先生のお名前などを修正し

載せました。

絶望と悲哀と寂しさに堪え得る勇者たれ

我に母あり

父の話す話の中でも

難しい話と思ってきた話ですが

今やっとわかる

やっとわかるようになれたことも嬉しく思います。

大丈夫❤️大丈夫❤️大丈夫❤️

全てを丸ごと感謝してる父

偉大さを感じます。

絶望がないって無敵

本当父にはかないません。

夢みたいな巡り合わせでの

膵臓癌、肝臓転移を

感謝で受け止めるなんて

ヤバイです。

さあココカラ

どんな展開になるのか

頑張る父を

守る気満々の母

もう2人は素敵な時間を過ごすことだけ

お互いがお互いのことをストレートに思って

見ていて気恥ずかしくなるほどです。

新婚かよっ❤️

姉は動画や画像で送って

会えない私にもその仲よさぶりが

伝わるようにしてくれます。

三姉妹も更にパワー全開

父の母の第3の人生を支えようと

思います。

第2の終わりが早すぎますが

これは完全にネクストステージ‼️

次なる舞台はココです。

本日も最後までお読みいただき

本当にありがとうございます😊

数日奥歯に物が挟まったようなブログに

なってしまっていたわけ

わかっていただけたかな??

嘘ならどんなに良いかと思いましたが

どこまでもドラマティックな展開希望の神様が

父には張り付いてるようです笑

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